テキスト2000
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いやおうアマクリナム北型行型花器灰白色小型花瓶アマクリナムは、館度化科の本アマリリス属(この属はベラドンナリ問雑種で園芸品種もかなり多くできているようである。一般に云うアマリリスストルム属)とちがって花茎は中空リl一種だけ)とクリナム属との属(ヒッペアではなくつまっており、花もやや小型である。健医化科では他に本アマリリスとネリネの属問雑種のアマリネとよばれる品種もある。切花として花屋に並べられているアマクリナムは高さが三十1三十五今ぐらいで朱色の花が多く、時々作例のような朱と白の花弁のも手に入ることがある。館度化の花には開花期には葉がなく、花が終ってから翌年の開花期の少し前に葉が消えてしまうものが多数ある。アマクリナムは開花期にも葉をつけているようだが、葉をそえて売られていることはないようである。そこで庭に生えている同じ懲厚花科の白懲芹花の葉が大きく艶やかに茂っていたので、借葉として十五枚そえ、高さ三十センチほどの小型の生花としていけ上げた。未知生罵知死論語巻第六これは論語の中に出てくる言葉である。孔子に弟子の季路が死とはどういうことなのですかと恐る恐る質問したところ、「未だ生を知らず、吾川んぞ死を知らん」という答えが返ってくる。「私は未だに生とはどういうことなのかわからないのに、死とはどんなことか答えられるわけがないだろう」とい、っ瓦味である。心から尊敬している先生の言葉なので季路もまともに受けとって随分考えたことだろう。だが結局のところ自分で納得のゆく答えは自分で見付けなければならないということに気付いたのではないかと回心う。私達は皆わけもわからず生を享け、いつか否応なしに死を迎える。そして否応なしに受け入れさせられる死を理不尽なものとして忌み嫌い怖れる。私達の寿命は大体八十しいが、もし千年、或は三千年も生きていたら、その長い年月に私達の頭脳や感情は耐えて行けるのだろうか。三千年も生き続けなければならないとすると人間としての頭脳や感情は捨てて、樹齢五千年の屋久杉のような生き方がよさそ、つである。生と死について私達はわからないことばかりではあるが、その人なりに答えは見付かる筈である。rf\らいら3

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