テキスト2000
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花器灰白色粕深鉢の3色の大輪の糸菊を5本加え、秋申央アメリカから南ひ米まわのりペルlにかけて自生していた向日葵は、太陽を信仰するインカの人々によって太陽神のシンボルとみなされていた。日世日紀末にコロンブスがアメリカを発見して以来、向H葵はヨーロッパに渡り園芸植物として恐舜された。日本には江戸時代初期に渡来し、日本最初の園芸書『花壇網目」(一六八一年)や「花壇地錦抄』(一ムハ九五年)には、すでに向日葵があげられている。中国では向日葵の種子を食用にしたり、油をしぼったりするために、花の芯が大きく花弁の短い品種に改良された。花芯の大きい向日葵の種子を落とさないようにきれいに枯らしたものが、桔向日葵としていけばなに使われる。種子の色は灰白色のものから黒に近い色になるものまであるが、油分を含んだ種子の集合は、枯れきつでもなお強い美しさを持っている。作例には梅擬の真紅の実をとりあわせたが、水分を多く含んだ梅擬の赤い実と焦茶色の枯向日葵の対象が美しい。そこへ白、薄桃色、濃桃色の花展むきの作例としてみた。枯向日葵は頭が重いので、剣山にしっかり挿した立幹に固定している。梅擬の実は水揚げが悪いと早〈萎むので、枝の足元の皮を削って切口を必ず翻って使いたい。万年青の自生地おもと今年の二月に、岡山の先生に案内していただいて、岡山県高梁川の上流地方の山へ、自生の万年青を見に行った。万年青は、五、六月頃の梅雨の頃に花を咲かせる。業の聞から太い花茎を伸ばして、その先に穂状に小花を密生させる。花は淡い緑色なので目立たない。花季が終わって夏に入ると緑色の実となるが、実の脇から若葉が伸び上がってくるので、実が赤く色づく晩秋初冬の季節には、実の位置は一株の中央からそれて、葉株のわきにおさまることになる。今月のテキスト裏表紙には先代の万年青の生花図があるが、古い葉は外へひろがって、実の脇から新しい葉株が生まれ出てきているというふ先生と和則うに見ると、万年青の出生がよくわかる。万年肯は暖地の林の中に野生種が自生しており、関東以西の本州、四国、九州、沖縄までと、中国に分布する。連れていってもらった自生地では、山の奥へ奥へと分布が移動し、群生の全体数も減ってきているとのことであった。それでも、落ち葉が積み重なる急斜面一面に、万年青の濃緑色の葉株が点在する様子は、人里から遠く離れた仙人郷に来たような気にさせる。一月の大雪で葉がたおれ、赤い実もほとんど落ちたあとで、野生の出生を観察するには訪れるのが遅かったようだが、石がごろごろする斜面にしっかり根をおろした万年青の自然の「炉忍を感じられたことに感謝している。おもと枯向日葵和則7

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