テキスト2000
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やぶさんざし現代のシlボルトNHKテレビの特集番組に、シiボルトの功績を現代に追うとい先日、うものがあった。ドイツ人医師、シlボルト九六1一八六六)は、オランダ商館の医師として一八二三年から一八一一一O年まで、長崎の出島に滞在し、医術をもって信用を得ながら、日本の(一七和則動植物の研究に専念し、とりわけ日本の植物をヨーロッパに持ち帰ることに情熱をそそいだ。実際に出島で育てていた植物のうちから五百種近くを持ち出したと言われている。数ヶ月の航海の間に枯れてしまったものもあっただろうが、彼が持ち帰つあじさいつつじた百合、紫陽花、椿、部蹴などの日本の植物が、ヨーロッパの園芸を大きく飛躍させることとなる。特に日本の百合の美しさはヨーロッパの人々の心をとらえ、鹿の子百合や山百合の育種に成功すると、やがてそれらH本の百合を基にした品種改良が競っておこなわれるようになった。現在もより美しく強い品種の開発が続いており、毎年新しい百合の品種が誕生し、そのうちの幾つかは日本でも手に入る。さらにNHKの番組では、シlボルトが帰国の際に長崎に残してきた日本人女性の釜引乞つけたとされる、「オタクサ」という名の紫陽花について取材していた。長い間、オタクサはヨーロッパで消滅したとされていたが、オタクサを探しあてたフランス人女性として、コリlン・マレさんが、ノルマンディl地方で美しく咲く、オタクサの純白の花を紹介していた。コリ1ンさんはノルマンディlの自庭に世界の紫陽花の仲間を八百積も育てている紫陽花研究家で、縁あって親しくさせていただいている。今年の六月中頃、被反は日本にやってきて、山中に自生する紫陽花の調査の途中、京都に私達を訪ねてくれた。梅雨の最中に、新潟、富士山、鈴鹿山脈と各地の山をわけいった後で忙しいスケジュールの合間を縫って登山装備で現われた彼女は、疲れきっているはずなのに、紫陽花の季節に日本にいる喜びが、なんともいえない笑顔にでている。(霊其中央)山中で採集した紫陽花を大切に箱につめて、郵便でフランスの自宅へ送っていたが、シlボルトの時代には数ヶ月かかった距離も、今では数日で送り届けることができる。採集した地点は携帯用の経緯度計測器で正確に記録しておくらしい。登子技術は進歩して、便利になっても、異国の植物の収集と研究に情熱を傾ける精神は、今もコリlンさんのような研究家に受け継がれている。ただし、世界の花が普通に手に入る時代となった現在、シlボルトが持ち帰る花々に胸踊らせた時代の雰囲気とは様チが違つてはきている。を楽しませ、日本の我々も外国帰りの美しい花をいけることで、彼の功績の思恵を授かっている。それら改良された花々は、野生種のような素朴な自然の風あいに欠けはするが、人の手でつくられ、大切に育てられ、市豊既争で見事に勝ち残ってきた、おおらかな力強きと美しさがある。この頁の作例には、薮山査子の実付の枝に、大輪の向い行合をとりあわせている。薮山査子は雪の下科の落葉低示で、透明感のある赤い実が美しい。白い百合は日本の百合の改良品種で、奮の状態でいけた後、数日で4輪の美しい花が咲きそろった。花材薮山査子百合(マルコポlロ)花器青緑粕花瓶シlボルトの努力は今、多くの人5

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