テキスト2000
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’L》宰&企司’−wかれあしくわいせいかーー哲りて:・芽ぼえる||花材と花型右より・枯芦−縞芦・杜若(実と花)と慈姑の葉・水カンナ(左)と−油azhが茅ポンとテ蓮デリア(右)花器大谷焼嬬大鉢矢野順一長作大谷焼大皿4作矢野款一作花席幅おれ奥行幻灯グレl・アクリル板敷美C詰め真夏のある日、夜が明ける前に車で琵琶湖へ出かけた。蓮の花を見るのが目的だったが、昇ったばかりの朝陽が湖面を光らせて、なんとも言えない美しきを感じた。そこには芦や太蘭、蒲なども生えていて、そういった群生から少し離れた水の中からも数本の芦が顔を出していた。その姿が大奪美しく、銀色の水面にくっきりと立ち上がる美しさが、ぐっと胸に焼きついた。9月の「花のかけ橋|家元と新世代いけばな展」には水辺の花の連作を出品したいと、かなり前から考えていたが、花席の設えを考えるヒントを琵琶湖畔で得ることができた。ゆったりとした空間に水面を思わせる平面をつくり、直径ω勺の水盤4つと大鉢を配置して、それぞれ水辺の生花連作八日頁V和則に水辺の植物を生花に活けた。水際を美しく見せるため、器に合わせて、那智黒、白川砂、河砂利を使って剣・草型留流し山を隠している。・真の花型毎朝の活け替えで毎日花材や花器の配置を替えてみた。6日間の間に・株分け3度来て下さった方もあったので、苦労も報われたと思っ。相互に関連・株分けしムQつ生花を連作で活けるには、そ・二種挿しれぞれの花型や大きさ、器の選び方からその配置が難しい。日本に自生する植物の中に北米原産の水カンナ高さ鈍ン(クズウコン科)とポンテデリア(ミズアオイ科)を加えたことで、空間を超えた植物の出会いが生まれたことも興味深かった。いけばなは置く空間によって受ける印象が変わる。駅のガラスケlスに花がよく活けられているが、せっかく美しく活けられていても、なんとなぐ花が淋しそうに見える。ところが和風の設えのウインドーに飾られて、お店の商品も.緒に美しくディスプレーされていたりすると、それら周りの空間や物と一体となっていけばなが力を発揮してくれる。片や花展ではどうだろう。6畳間もの空間を向由に使えることなどは稀である。ただし、花が次から次へと並ぶ花展の見せ方に対して、ゆったりとした気持ちで見ることができないとい、ユ忌見もよく耳にする。活けた花が存分に力を発揮してくれる空間づくりと、つづっの花の余韻、つノ。を楽しめる聞を大切にした見せ方というものが求められていると回心う。我々がいけばなに求めるものは何だろう。自然の中では群生した姿でしかとらえていなかったものでも、その中から切りとって器に生けると何とも美しい生命を感じる。そんな素朴ないけばなの魅力を、奥深久探究していく中で得るものは大きく、又他のものには替え難い。ただ、そのいけばなの魅力をより多くの人に伝えるにはどのようにすればいいのかということを、花道人すべてが考える時に来ている。花道の本道から離れない更なる研鎖と、身につけたものを発揮して世の中の為になること。そして次の世代へ価値ある形で伝えることを、世紀のかわり目にもう一度よく考えたいと思先代に手渡された桑原専慶流のいけばな。それは難解なもの一一ではあったが自分で考えるべき一余地を大きく残してくれていた。一一その自由さは私に試行錯誤を繰一向返させることになったが、同一好余曲折を重ねてきた道を今ふ一一り返り、次代への橋は虹のよう一であってほしいと・仙漢記一橋の秘で仙渓一−一一や一一一一一−一11 一一く時大にき私なら糧しかとてさ一なをっつくたり。上げて行

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