テキスト2000
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におたど小さいいけばな知的好奇心てnに入れる。そしてキャラメルをいいいけばなは、形の大きさにはかかわりなく、私達の心を潤し、生の美しさを心に響かせる。花の色と形、いけた花達を生かしてくれる水と器。小品花では器の役割が大きい。何でも使えるが花を生かしきるためには熟考と感覚の上に立って手早〈いけ上げる技術を平素から養っておかなければならない。花材アマクリナム紫式部花器白地プラチナ文花瓶動物闘で猿山の猿にキャラメルを投げてやる。受けとった一匹はまわりの猿に用心しながら包み紙をあけnに頬張りながら包装紙を事返した均表返したり暫らく眺めている。そして充分調べると納得のいった古荏情で捨てる。好奇心の強い動物である。私の家の猫はかなり賢いが包装紙をひっくり返して眺めるような好奇心はなさそうである。猿も人間も祖先は同じ動物だそ、つだが、原初の人類も生活に直接関係しない好奇心を他の猿よりも沢山持ち合わせていたお蔭で現在の文明を持つことができるようになったのだろ、っ。此頃、知性とい、2一百葉より、感径という言葉をより多く見聞きする。感ω性と同様な意味で「感註丘は」という言葉もある。これは印象、或は自分の感じた刺激や受けた条件への対応を心に結びつけることではないのかと思つ。いわば京佐」によって得たものを「知性」によって櫨化して行こうとする過程に「球担丘は」がある。勿論これは私一人の「球主丘は」に対する考えで、哲学的に正しいものではないだろう。だが戚径が受けとめたものは知性によって磨かれなければならない。感じるだけでは猫とあま灼赤必わりがない。猿のような好奇心が人類の始まりであり、その好奇心が一つのものから二つにつながり、更に多数のことと組み合わされ、取捨選択を繰り返しているうちに「知性」が育ってきた。少し異った性質を持っているが、という言葉がある。占い辞書では「正しき好こう悪おを識ること」と書かれている。正しい好き嫌いということなど、価値観の多様化した現代では死語に等しい。だが価値観の多様化し過ぎた現在ではかえって必要な意味を持つのではないかと思つ。味、立刊、色、形、匂い、その他様々なものから受ける感じを知性によって取捨選択し、自分自身を見出したとき、それは良い「見識」を得たことになる。日本のいけばなもそんな過程を辿りながら現在に到った。9 「け見ん識し」き

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