テキスト1998
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がまか主ヲぱムロ市杜若花型行型二種挿し花器自主日磁本雄柾木の頁で、生花の骨髄は真(序)、副(破)、留(急)の三体で構成され、それに様々な名称の装飾枝が加わって行く。そして昔は葉蘭三枚から徐々に葉敏をふやして行くが、二一枚に戻ってみると、それが思いがけず難かしいものであると書いた。確かに葉蘭三枚は難しいが、例えば姫柾木でも、下の方の太枝で、小枝付きが余ることがある。そんな枝を再利用して小一瓶いけ上がると、さい生花をいけてみると、先にいけ上げた姫柾木よりも魅力のある生花ができたりする。それは多分、きっちりした花をいけ上げたあと、気持の余裕で、そんな生花ができたのだと思う。この民の紺・杜若の二棺挿しも、六一員の生花の余材を使った。点(序)はF・掛から山て前後に大きく拡がった葉はとり、上部の三枚だけ残して立て、そこへ先にとり除いた葉をあまりひろがらないようにそえる。副(破)は上部の二枚だけを残し、そこに少し長いしっかりした葉を左にのぼして副(倣)の形をととのえる。留(急)の杜芯は葉をほどいて組み直さず、出生のままの自然な五枚葉を使って、その後に社若の夏姿らしく花を高く添、えた。柴嗣や柳のような、生花の基礎的な花材を三枚、だけでいけるのは難しいが、枝物の残り枝や、作例のような花材をいけるのは、それほど難しいものではなく、いけていて、かえって楽しいものである。私がいけばな展などで好んでいける花型は、草の草型、いわゆる乱曲体の枝物で、梅の高木や木瓜等の花木、新緑の頃の裏門の木(山梨)その他の古木類。初冬の寒桜も少し寂しげにいけるのが好きである。いずれの花材も古木のひねたものであるが、幾星霜も年を重ねて生きてきた植物に手品ふれ、その重みや生い立ちを感じながらいけているといける自分が形を考えるのではなくいける古木がその姿の来歴を語りかけ、いけ方を教えてくれているような気がする。7

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