テキスト1998
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姫柾木ひめまさき花型草剖訪問流し花器天目紬花鉢生花をいけていると、時々これがいけばなの究極の形ではないのかと回心うことがある。七体の立花から九休の立花と時代を重ねて行く間に江戸時代の後期に三体のいけばなが可能になる。それが生花である。誰が発明したものでもない。いけばなの歴史が向然に生み出したものである。三体は、具(底、副(破)、留(急)の三枝で構成されたゆるぎのない花型である。昔は葉蘭三枚から習い始め、徐々に枚数をふやしていった。或程度まで上達した頃、習い始めの三葉に戻ってみると、その三葉が意外に難しいものであることを知る。三枝を骨飴にして徐々につけ加えられて行く枝には様々な名称がつけられているが、それは花型の大ききゃ花材の性質によって加わる装飾枝で、基本はあくまで三枝なのである。5

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