テキスト1998
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山の枝物に百合、とい、?と内ムロわせは、ごくありきたりで珍fりしくもないのだが、いけて飾ってみると、なぜか、ほっとした気分になる。気に入った絵、或は良い絵を飾って眺めているときの気分とは少し違った気持ではないかと思っ。大体掛軸の絵や、額縁にはめこまれた絵は自分が描いたものではない。誰かが描いたものである。そして良い絵であればある程、その絵の世界から自分への距離が遠くなる。ところが、いけばなは自分の手でいけるものである。手にした一本の枝、一輪の花をどのようにいけょうかと無心になって感じとろうとする。この無心で感じるということが大切で、稽古に通ってくる皆さんは、稽古で花をいけていると、他の色々なことから解放されて、無心になれる、そのひとときに惹かれて続けているのだと云うことをよく聞く。おそらく、その無心になっているとき、それと気付かず花と対話しているのではないかと思う。自分でいけた花は、自分日身にとって何か特別なものであるという気持は、そんな経過から生じるのだろう。そして、2まく対話できたときに、良いいけばなになるのだろう。花材深山南天淡紅百合花器灰円色軸花瓶3頁下の花V安らぎ〈3

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