テキスト1998
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あすかびた巴はないだろうか。田の神は遠い存在になってしまっても庶民の聞には根強く遁か昔の意識が残っているようである。平安時代に花の主役をとりもどした桜は江戸時代になると花見が俄然賑やかな年中行事になって行く。おとくに江戸の花見については移しい資料が残っている。江戸の花見も徳川時代の初期には神社仏閣に植栽された数本の桜を見に行く程度のものだったが、桜が庶民の花見を考えて室長檀えられるようになったのは八代将軍吉宗が隅田川東岸に百本植樹してからの予」とである。次いで南品川の御殿山に六百本、城北飛鳥山に千本と吉野桜が植えられた。これらの桜が立派な成木になった頃から江戸の花見は面白くなってくる。江戸落語の有名人、八つつあんや熊さんが大家に連れられて飛鳥山にやってくる「長屋の花見」、「花見の仇討」、「花見酒」等は江戸庶民の日常や生活戚舟見がよく表現されたいい噺である。幼稚閣の頃から東京の寄席に親しんできた私は、花とはそんなものと思っていた。熊さん、八つつあんのような頓馬な花見ではなくても、春には花見弁当と酒を携えて、花の下で大聾で唄って酔い痴れてみたいという気持は3

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