テキスト1997
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も〈せいちん床の間ωまちゃっいすみか3頁の花〉日本の住宅は一体どれぐらいの耐周年数があるのだろう。京都には古い社寺建築は沢山残っているが、明治以前の町家がそのまま使われている例は少ないようである。私の住んでいる中京でも街の様相が変りはじめて四十年近くなった現在、昔の面影をとどめている家は多く見ても十軒に一軒ぐらいのものである。私はもともと京都の町並の件いは陰気であまり好きではなかったのだが、古い町家がとりこわされて新しい建物に変ったのはいいが成程といえるよ、?な建築物はごく僅かなものである。こうなってみると少々暗い町並みであっても、昔の方が良かったとしか回心えなくなってしまう。それほど好感yv」もっていなかった京の町家も、ここを終の棲家と定めてみると、悪くないどころか中々良いものである。そして使い方次第で気持よく暮らせることもわかってきた。だが古い町家の雰囲気を損わないで住み心地を良くしようとするには町家の構造やデザインが何故このようになっているのかも少しは知っておかなければならない。鰻の寝床と云われている細長いレイアウトの家でも、中庭のあることによってかなり通風がいい。今家の一番奥まった所に建てた書斎で原稿を書いているが、中庭の植込を抜けてくる風が快い涼気を運んでくる。むし暑きで嫌われている虫尽の住居も通風さ、え妨げなければ少しは涼しく夏を過ごせるのである。古い家でいいなと回心うのはやはり床の間だろう。良質な材料を注意深く手間をかけて作られているので時を経るほど雅趣が深まって行く。京都でも時々そういう床の間に出逢うことがある。書院の建具や欄問、坂床の木目を見ていると飾りつけられた掛軸や花のことは自に入らないこともある。古い良い家がどんどん取壊されて行くが、それは経営規模が大きくなったために必要に迫られてのことだろうが、私の仕事の場合、どうしても京都の古い町家の件いの中でいけばなを考えて暮らして行きたい。部屋を通り抜ける風の肌触り、瓦屋根に降る同の音、中庭に咲く椿や緑の葉色、季節に漂う銀木犀や沈丁花の匂い。そんな環境から離れると、桑原専慶流のいけばなもいつの間にか造り物になっていってしまうのではないのだろうかという気がする。3頁の花をいけたのは二階の奥の床の間である。家が建ってから百年を少し過ぎているが全然狂いは来て〈4

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