テキスト1997
50/155

Eぜいけ太閤オクロレウカ花型行型二種挿花器藍色粕一層官オクロレウカは正確にはイリス・オクロレウカ・ヴァル・ギガンティアという学名で白花で帯黄色の大きいアイリスという意味である。原種の白花で花弁の中央の黄色のものの他に園芸品種として黄花種と紫花種がある。作例に使ったのは紫花純で、他の2種とくらべるとかなり小型の品種なので太閣を主にしてオクロレウカを留に矧かく使ってみた。太蘭と杜志、花賞品滞やオクロレウカのとりあわせには色々ないけ方があるが一株で二種を交挿するのは株分けにするよりも、花型もまとめやすくて、いけ上がりの姿もいいので稽古にも向いているようである。いけばな論の変容海洋に固まれ、大陸から孤立した日本列島に住む私達日本人は、独自の生活環境の中に住みながら、絶えず海を渡って入ってくる外来文化に大きく影響きれ続けてきた。そして外来文化が渡来し、ある程度それが普及し、消化されて一般化すると、必ず本来の日本文化、或は日本人像がどんなものであるのか問い直されてきた。占い時代に描かれた日本人像はさておき、社会の構成原理が大きくゆらいだ一九四五年の日本敗戦後、荒廃し国が立ち直って行く過程で我々日本人とはどういう民族なのか、そして世界の中でどういう位置にあって、どんな哲学を持っているのか、それを外国の人にどう見られているのか、又日本人は如何なる思想を持って世界の中で生きて行かなければならないかということが問い続けられてきた。戦後といってもすでに半世紀を過ぎたが、その聞に日本人論、或は日本文明論は何回か変化してきている。ある文化人類学者はそれを四期に分けているが、それは戦後のいけばなの動向ゃいけばな論の変容にもあてはまっているようである。いけばなは日本において特殊な発展をとげたものだけに、それが西欧の芸術とくらべたときの整合性と特殊性が絶、えず関われてきたのである。(以下次号)11

元のページ  ../index.html#50

このブックを見る