テキスト1997
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月1日、インド南東部の商業都市マドインドの花と食の旅サンデッシユ歳。学生時代から日本文化を勉強するインド人の青年。今年5月の「花ふたり旅」山版記念いけばな展会場に、豊かな口髭と優しい目で現れたのが、彼との初めての出会いだった。全くの初対面からわずか3カ月後の8月7日午後3時。私と棲子は南インド内陸部の都市、バンガロールのエイトリア・ホテルで、サリl姿のイケパナ・インターナショナル・バンガロール支部会員二OO人の人達にいけばなを実演して見せた。私達は数日前の8温ラがスω度に到に着し達たして。少いした前マまドでラ日ス中もの、気太陽の猛威はいくぶん和らいで、ベンガル湾からの湿気を含んで、蒸し暑い真夏の京都ぐらいの気候であった。道端ではココヤシの実やサトウキビの尾台が並び、天然のジュースを売っている。果物屋にはバナナ、リンゴ、プトウ、ザクロ、パパイヤ、マンゴー、ライム、パンレイシ(釈迦頭)が和まれ、花売りはジャスミンの真っ白な花の奮を糸で綴り、切均売りしている。その花飾りは場中汝性の髪に飾られ、家では玄関の注連縄にされたり、祭壇に供‘えられたりする。インドの女性はジャスミンが好きだ。小友粉、米などを材料に、カリl料理、花の香りを積極的に暮らしに取り込んでいる。それは香りも含めた植物の発信する生のエネルギーを吸収して自分たちの命も強く輝こうとしているかのよ、つだ。食事にしても同じで、様々な野菜や米、小麦を複雑な香辛料とその家伝来の調理法で料理し、家族の健事乞維持するのは女性の大切な役割で体の調子桑原和則・クマlル・レディ訂に合わせる微妙な術は母から娘、嫁へと伝えられる。植物というエネルギーに充ちた自然を食物の形で体に取り込み命を強くしたいとい、っ顧いが込められている。再び道端に目を移すと、花売りの横では牛が寝そべり山羊がごみ箱に顔をつっこんでいる。小さな町では猿がうる。塀の上を走る影をよく見るとカメろっき、豚は生ごみの山を掃除していレオンだったりする。ある村はずれで、普段から声の大きい楼子が大声で人を呼んだ時のこと。のんびり草を食んでいた3頭の黒い牛が棲子の声に驚き、日を見開いて一目散に走り出した。その辺りが静かな区域のせいかもしれないが、インドでは人以外の動物にも気を配る必要があるさエ〜。牛飼のおじさんごめんなさい。マドラスより車で北へ6時間走り、8月1口、夜、サンデツシユの故郷ネロlルに到着。レディ家での5日間のでインドの生活を体験させて下さった。れるからである。そして最後に割った彼の母上は毎日違、つサリ!と特別料理で遠来の客を温かくもてなして下さった。最初に客人の辛さの好みを試してから、チキン、マトン、魚、海老、ジャガイモ、ほうれん草、オクラ、ココナツッ、ドラムスティック、ひよこ豆、レンズ一旦、カリフラワー、茄子、トマト、ピーマン、大根、人参、玉葱、ヨーグルト、ミルク、揚げ物ピラフ、スープ、団子などなどがテーブルに処狭しと並べられていた。香辛料もチリ、カルダモン、タlメリック、クロiプ、クミン、カリlリーフ、タマリンドなど独特の味と香りを持ったものが多く、中でも極めつけがコリアンダーの生の葉で、好き嫌いがはっきり分かれる強烈な香草だ。母上や兄嫁さんからインドの家庭料ホlムステイで、彼のご家族が総動員理を教わり、サリlを着せてもらい、植物の染料で手のひらに絵模様を描くヘンナ染めを体験し(以上は女性のみ。へンナ染めは2週間消えなかった)、農村でココヤシの歓迎を受け、インド映画を満喫し、レストランの厨房まで見学できて楼子は御満悦の捗チだった。サンデッシユと私と根子と赤木さんと中でも印象に残るのは、にわかヒンズー教徒となって寺院を巡礼したことと、レディ家の祭壇の前にランゴリの花飾打手二緒に作ったこと。ヒンズーの祈りに花は欠かせない。寺院ではお布施と花とココヤシの皮を剥いたものを僧に渡す。僧は神に花を供えつつ神の名前を延々と唱える。(一O八あるそうな)。流れる汗に耐えていると、ココヤシを割り参拝者にその中の水を与え(有り難く飲む)聖なる火の煙のお裾分けを顔にいただき(3度)、眉間に赤い印をつけ、仏足の付いた金属の帽チを頭にかざしてもらう。それらを一つの寺院で3から5カ所廻る。ヒンズーの神様は何人も居らココヤシの実に花を入れてもらい持って帰るのだが、必ず寺・を出る前にしばらく地面に座って膜想する。レディ家での花飾りは写真(右端)のように床にライスパウダーでランゴリ(士昆怯模様)を描き、色の粉やジャスミンやマリlゴールドなどの花で模様を埋めていく。床に描くので自ずと祈りのポlズになり、また粉を落としていくのも花を並べていくのも手作業なので息を凝らして慎重になり、さらに花の香りを手に移すことにもなる。ここでの祈りの花はすべて枝から摘み取られた花である。いけばなでも花弁を優しく拡げることはあるが花弁に直に触れる数ではインド人にかなわない。インド人にとって手から直に感じることがとても重要な意味を持つのかもしれない。8月5日ネロlルを発ちバンガロールへ。インド囲内の叩日間の旅の移動は運転手付長距離貸し切りタクシーで、アンパサダ!というインド車(独立以来モデルチェンジなし)に、運転手と島田君(二人は助手として同行)の合である。全長およそ一千キロ。パニアン(ベンガル菩提樹)の並木道や、樹会立件州w姉ベ燃えているようなグルモlル(鳳風木)、木蔭を作るピツパザ{一インド菩提樹)やニlム(インド栴位)、稲田、サトウキビやバナナ、ココヤシの畑を横に見ながら、やがて内陸の乾燥地帯では様々なサボテンや態古蘭の仲間が現れ、サルスベリやプlゲンピリアが彩りをそえる。ネロlルより車で合計9時間(途中一泊)、8月6日正午にバンガロール到着後会場下見、手と器(事前の打ち合わせで先方により現地調達済)のチェックをして夜の内にホテルで下準備。翌朝会場入り後展示実演ともで合計ロ作分の花を下準備。主なメンバーと昼食後3時から5時初分までのプログラムの中で、展示しておいたのは槙子によるテーブル花2作だけで、残り叩作を一作5とはいえ花の実演を見る事に関しては悲吊に気が短いらしく、喋るより手を動かしていて欲しいなどと我侭な注文を受けていたのだ。和則が菊3純生花、グラジオラス生花、アリカ榔子とドラセナの生花、カ1ミニl(小葉の枝物)と小菊の生花、ストレリチアを真にした立花をしたあと、棲子が榔子の花とアンスリュlムの投入、カーネーションのプレゼント風盛花、日本の乾燥蘭草からガーベラ計6人が乗っている。荷物は屋根の上1m分でいけていった。悠久のインド1時間叩分の実演であった。を出した創作花を実演し、最後に和則の蓮の立花と棲子の着物の帯を使った創作花を同時進行でいけてフィニッシュ。私にとっては仏教発祥の地インドで蓮の立花だけは是非ともやってみたかったし、またインドの人達も初めて見たと驚いていた。実はこの建だけは移動の途中泊まった宿の前にたまたま蓮池があり、大切に切って持っていっていたもので、蓮池の少ない南インドでは奇跡とも一言尽える偶然だったのだ。しかもその蓮池というのがヒンズー寺院の敷地のもので、ヒンズーの神様がにわか信者の私の祈りを聞き届けて下さったのに違いない。一人のインド人との出会いが縁で多くの貴重な体験をした旅であった。19

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