テキスト1997
122/155

玉萄黍と、南アメリカ原産の玉萄黍は馬鈴薯、唐辛「子と一緒に卜五世紀の終り頃ヨーロッパにもたらされ、たちまちのうちにヨーロッパだけでなく北アフリカにも伝播して重要な農作物になってしまった。H本にもそれから百年もたたない十六世記、豊臣秀育の時代にポルトガル人によって伝えられた。玉罰黍は日本ではあまり重要な農作物ではなかったようだが焼玉罰黍は肯くから夏の風物の一つとして親しまれてきた。南米では紀元前=σ00年頃にはすでに栽培されていたが、そのような栽培品種の他に自然交雑した品種が大変多い。四、五年前に京都の大丸ミュlジアムで開催された大アンデス民に様々な品種の五萄黍が展示されていたが、何故一種類の植物の実がこんなに変化して行くのか、その不思議さに長時間立ち止まらせれてしまった。最近では南米やその他の地方から観賞用に輸入された色も形も様々な玉濁黍が売られている。四、冗種類民ってそのまま飾っておいてもいいが乾燥して固くなったものを、ただそのまま並べておくだけでは、発芽を待って生きている玉窃泰の生命が感じられないのでみずみずしい花をそえたい。そして花器の円にかたまった茶褐こし和則の花2ろ色の重圧感が黒米の穂でやわらげられて、この一瓶の投入の形が整ったようである。花材デンドロピュ!ム・ファレノプシス(デンファレ)玉雪泰黒米の稲穂小さく品よく〈表紙の花〉アンスリュlムの仏炎位は普通ハート形だが、このアンスリュlムの仏炎砲は少し変形している。そして小形で白と線のみずみずしい花色である。時々変った品種のアンスリユlムが花屈に出てくるが、いいなと思っていてもいつの間にか見かけなくなってしま、?ものも多い。仏炎位の大きさが7仰ぐらいなので、それに合わせて九葉の木の紅葉も小業を選び、小輪のガーベラをとり合わせた。小型の盛花で上品なかわいきが感じられるこういろん化には、他にも何か別の色の花をつけ加えたくなるかもしれないがそれはやめて、背景か敷物で花の色を浮かびtがらせた万がいい花材アンスリュlムガーベラ九葉の木内色刷コンポート花山市U←レサdUqはHずSHn銅の打ち出し蛮2

元のページ  ../index.html#122

このブックを見る