テキスト1996
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ルコト視νν蹄カι的Yふま均ヲシスル死若大載樽記曽子制言日本人が生死について、あるしっかりした考えを持ち、死に臨んでもたじろがなかったのは鎌倉、或は室町時代の武家社会を迎えてからのことのように思える。そしてそれは江戸時代を経て明治時代に少しぐらついたようだが、昭和初期、敗戦前までは細々とはしていても、自分自身で鍛えた死生観を持った人はかなりいた。私達日本人の死に対する態度が大変心許ないようになってきたのは敗戦後、それまでの思想の基軸が変調をきたし、この国始まって以来の豊かさを体験してからのことらしい。そんなことを考えている時、新聞の書評に山折哲雄氏の「死を視ること、蹄するが析し」という本が出ていることを知った。早速買って帰ってざっと頁を繰ってみたが私の思っているような事は舎かれていなかったが、私なりの死生観を考え直してみる良い機会にはなった。私達夫婦の兄弟や友人達もかなり年が寄ってきた。老後のこと、そして死についても話題が及ぶ。私が疑問に思うのは卜人のうちん人、或は千人のうち九百九十九人までが「自分でそれと気付かないまま死んでしまえたらよいのに」と考えていることである。私は反対に白分が息をひきとるまで、自分がこの世に別かれをつげる瞬間までをはっきり自覚して死ねれば有難いと思っている。一生の聞に私達は多くの人々の好立をつけて拝らし、或は厄介をかけて何とか生涯を終えるのである。落ちついてよく考えれば、それらの方々に「今から身罷りますので・・」と御挨拶の一つも申し述べるのが筋ではないかと思う−のである。突然の事故死なら致し方ないとしても、有耶無耶のっちにこの世と、ということは周囲の人達に一言の挨拶も交わすことなくサヨナラしたいというのは大変心排けの悪いことなのである。私は両親の縁によって、この世に生を享けたのだが、母の胎内で生命の灯が点される以前のことは知らないし、生まれたときに「皆さん、どうか宜しく」とは一五わなかった。だがこの世に暮らす予」とができたお訟で人があり、地球があり、宇宙のあることを知った。この世とは実に美しいものである。いけばなに携わることによって更にその気持は深まったが、私がこの世という舞台を去っても、この世は永遠に存在し続けるのである。それなら後に残る人々にも無礼にならないようにしたい。うや9

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