テキスト1996
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一月の最初の頁の花国には淡紫色のラベンダーが一面に咲いていて、横の池には濃い紫色のジャーマン・アイリスの広い庭問の写真。これはイギリスで一週間ごとにまとめられたカレンダーの写真で一年分として臼枚のイギリスの庭園の花が締鹿に印刷されている。次の週は芽吹いた怯郵慨の下でラッパ水仙の白い花が点々と咲いている。一一月の第一週自の頁は満開の跡崎の横で有おの大きな花が咲き誇っている庭になっている。それぞれの週と李節の花が全然合っていない、というより始めから考慮に入れていないようである。九月には第一週目には楓の生、の紅葉が使われていて少し早いかなと思うのはまあまあとして次の週が大きい石伸あの枝に花が咲き乱れている。いちばん変なのは、十二月の二週目には古い田舎家風の家の庭に作られた藤棚に房々と咲いた藤の花の写真が入れられている頁だろう。冷え冷えとした曇リ勝ちな十二月のイギリスの庭園に維の花が咲くわけがないのである。日本で作られたなら十二月に藤の花が入れられるというようなことは、どう考、えてもあり得ない。要するに締鹿でありさえすればよいので李節と花の関連は大して重要花の咲くときト晶、っ。ではないのだろう。そう云いきってしまうのは行き過ぎかもしれないが、一年のそれぞれの月と、その時分の花との結びつきは日本とくらべて浅いとは云えそうである。ッパ北部も、ルネッサンス以後軍事力や経済力の充実によって世界各地に進出して他民地をふやして行ったが、その際プラント・ハンターによって持ち州られた様々な航物が気候も風土も異なる条件を克服して栽暗に成功した。節は無視せざるを得ない。そういうことも大きく彬特しているのだろう。い、つことでふめる。の季節のサイクルを一体どのようにして知るのか、開花のメカニズムについて私の知り得たことを書いてみらだと一ぶわれてもいるが、一体それはどのような時計で、純物はその時計の目盛りをどう解読するのだろうか。その時計は私達のロ時間単位の時計ではなく、l年ロヶ月単位の時計で日照時間や気温、その植物の年令、栄養条件、環境も組みこまれた複雑な時計である。この一冊のスケジュール帖だけでもともと植生が貧しかったヨーロだが原産地と異なった風土では季そこで気になるのは花の咲くえれと花がきまった時期に咲くのは一年それは杭物が時計を持っているかまず杭物が季節の移り変りを知るのは夜と畳の時聞の長さの変化と、気温の変化を感知し得るという能力を具、えていることである。春に咲く花は冬の寒い聞はじっと耐えて過ごし、春になって日照時間が長くなると花芽が生長を始める。秋に咲く花は夏の高温期が過ぎて秋口に日照時間が短くなると花芽は開花に向かって活動しはじめる。これは長日、知日とよんでいる。そして日照時間を感知するのは葉なのだそうだが、長日、制日を感知した集から刷物の成長点に何らかの化学的刺激が伝達されているらしく、その化学的刺激を「フロリゲン(花成ホルモン)」とよんでいる。航物とは生態の大きく異るよ、つに見える動物、とくに自らを小−伍長知とよんでいる私達人類から見れば脳も持っていない植物にどうしてそんな能力があるのか寄妙に思えるが、外界の変化には立派に対応して自分の生活を発展させているのである。植物が開花するには、日照時聞の長短と気温の他に年令と栄養状態も大きく彩響する。だが年令といっても砂漠の杭物のうちには発芽してすぐ花の咲くものもあれば、木椴植物では花をつけるまで凶年も初年もかかるものもある。そしてストレス(正常な発育を阻害する条件)によって花芽が形成されることもある。時間というものを考、えてみると、地球は太陽のい恐昼として極めて正確な時間で公転し、自転している。この物理的な時間を私達は人傾の時間としている。それはそれでよいとして、人間以外の生物、とくに柏物は人聞の発見して使っている物理的時聞の他に様々な自然条件も自分達の生命のサイクル、即ち時間としているのである。地球上の色々な形の生命体の時聞の捉え方、或は自覚の仕方は様々である。少し以前に出版された「ゾウの時間ネズミの時間」という本に、動物のサイズが違うと機敏きが違い、寿命が違い、総じて時間の流れる速さが違ってくる。ところが一生の聞に打つ心臓の鼓動の回数や、体毛あたりの総エネルギーの使用量はサイズによらず一定なのだそうである。従って寿命の長い象も、一向い一生の限も物理的な時間とはかかわりなく自分の一生をそれぞれ完成し、生き甲斐を感じて過ごして行くのであると云っている。一年生の草花、多年生の大木、百年以上生き続ける象、数年の寿命しかない鼠。それぞれ異なった時間感覚を持って一生を終えるのである。人聞が作り出した物理的な時間だけでなく生物としての体感に合った花暦という「とき」のあることも忘れてはならない。6

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