テキスト1996
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花刑ヒ小品行型花器削麻竹三つ窓筒梅見がすんで雛祭リに桃を飾る。そしていよいよお花見の日がやってくる。観怖、三月三百の桃の花、五月五日の古初、七夕、九川九日の重陽の菊、奇数月のこれらの行事は中国から伝来したものだが桜のお花見だけは日本同有の押俗である。日もきまっていない。九州から順々に中国、近畿、中部ヲ令。桃には少女にその花のよ、つにとの関東、東北へと桜の春の到来に従って各地のお花見の日がやってくる。お花見に出かけたからと止って別に何か功徳があるわけではない。観梅には何か知的な向上。漢学と結びついた教養がちらつくし、天満宮の梅を日凡て学聞の神機官原道点公に入学試験の合格をお願いしたりす願いがこめられるし、岳部は尚武という語呂をひっかけて男児の剛健な成長を望んで端午の節句を祝う。少し中国での起源の主旨とはずれてはいるが他の節句にも何事かの思いがかけられている。重陽の節句では菊柄で健康を保つという目的があるのだが日本では一般の習俗にはなっていない。ところが先紅3いたように桜に日本人は無目的に浮かれるのである。古くはその年の豊凶を占う花であったかもしれないが、いつの間にかそんなことは欠附治してしまっている。桜の花を国粋主義者は日本的性格の象徴と結びつけて妙な札讃の仕方をしているが、ねがはくは花のしたにて春死なんそのきさらぎの望月の頃と詠んだ西行法師のよ、つな桜に寄せる少し特異な感情が日本人の心に流れていて、何が何でも花見に出かけて怯に酔い痴れたいというれ持を起こさせるのだろうと思っている。やわらかく暖かな日射し、青い空に浮かぶ桜の花。その下こそが我が世の春と人々が大きな気になれる。大勢の仲間が集まって酔い騒ぐのが本来の花見で、一人静かに桜を眺めたいというのは観梅の気分ではないのだろうか。桜の小品生花をいけてみた。三月に入ると方々でのいけ花展や写瓦用に似をいける機会が多い。そんな場合には大枝を使うので、いけ終ると小枝が残る。小枝といってもかなり長いのもまじっているので小さくいけて向分用に書斎に飾っておいたりする。そして苔のまわったような老木の校でも、花の散ったあと花器の水をかえておくと葉桜になって後々まで桜と共に暮らすことになる。楼4

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