テキスト1996
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ふめヲ@。NHK どこの国にもお国柄というものがあり、自分の国特有な性格と他の国の性格を区別している。日本では日本的なものを「和」とよんで「洋」と対比させている。だが「和」ということの意味や内容は一応わかっているつもりでも、説明を求められると、どう答えればよいのか簡単に説明できない観念で私は現在京都という古い都会で一「和」と云えそうな雰囲気の中で暮らしている。だがそれは一応和的と云えるだけで純粋な和の世界ではない。又日本で純粋な和の世界が保京都/「和」の世界1月9日−m日放送たれていた時代はあり得なかったと思うが、それでも「和」という観念は存在し続けてきたし今後も生き続けて行くと考えてよい感覚である。和というのは多分この日本列島という風土に二千年、三千年と住み続けている聞に自然に育ってきた生活感覚なのではないだろうか。日本という国土はユーラシア大陸の離島で古代には大陸との交流は昏易くはなかったが人聞の知能の発達を促すのに必要な風土的条件は具えていた。夏はぬ度を越す暑さだし、冬は0度以下に気温は下がる。そしてヨーロッパなどとくらべて期間の長い春と秋がある。南太平洋の島々やアフリカのように一年中大して知能を働第三段郵便物認可桑原専度流いけばなテキスト抑号かせずに食料を手に入れられるよ、つな風土ではなかったが極限を強いられるような厳しい自然でもなかった。まった。努力すれば報いの得られる風土であり、しかも四李それぞれの特徴をその美しさによって教えられるような島国である。そして大陸の国家のように民族が入れ替わるようなこともなく二千年以上、」の風土に私達は生活し続けてきた。和という感覚は、そのような条件の下に徐々に形成されてきたが、その原形が作り上げられたのが多分弥生時代であり、原形に磨きがかかり始めたのが平安時代だろう。京都はご存知のようにあまり広くない上に三方がなだらかな山に囲ま1996年2月1日発行(毎月l回l日発行)桑原導度流家元発行れている。そして日本で初めて出来た都会であり、都会生活もここで始周囲の山が都心から離れていないということは手付かずに近い自然に囲まれた政治や文化、経済の中心地で暮らしているということでもある。をまとってきた(石田一良非ーカミそういう環境で磨かれてきた文化が「和」の世界を形成しているのである。そしていけばなも和の感覚から芽生えた一つの文化なのである。原始時代から日本列島には大陸からの文化は流入して来てはいるが、総合的なものが急激に入ってきた訳ではないだろう。断片的に少しずつ入ってくるので次の部分が入ってくるまでに日本風に消化する時間は充分あり、外来文化も和の生活感広見を支える柱の一本に削リ直して使われて来たのである。原始時代に形成された民族の原質は容易に変るものではなく(梶村昇は時代によって様々な異文化の治物と日本文化)と云われれば成程その通りである。「和」の暮らしを、と身、えるときそれほど身えなくても何とかそのような非同気を作れるのは私の血の中にも日本民族の原質が生き続けているからなのだろう。(以下次号)写真①は水仙を使つての季節の変化のとらえ方。②は和的しつらえの一例。③④⑤と家元のスタッフ一同の協力でこの番組が出来上がった。坑l日本人の信仰)、日本的な原質定価五OO円① ② ③ ④ ⑤ 応

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