テキスト1996
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しだろうか。孔子は謹厳な聖人君子の標本のような人かもしれないが、「論語」を随筆のようなつもりで読んでいると、その人となりに共感できる個所がいくつも出てくる。そういった立味での例として、孔子が居留守を使った話がよくひきあ嬬しゅ悲υという人が孔子を訪ねて来た。いに出されている。会いたくない人なので孔チは弟子に病気だと云わせて門前払いする。その人が門口を出ょうとする時、孔子は琴をひきながら歌を唱って居留守を使ったことをわからせて平気な阪をしていた。これを教訓的にとるとすれば色々と人を教える材料になるのかもしれないが、こういうことを附嵯に出来るのはかなりユーモアのセンスの曲Eかな人なのだろう。孔子の最高の価値基準は「仁」ということなのだが、これを知っているだけでなく好きになり、身についたことを楽しめるようになればしめたものだと云っている。その上で婁(教養)に心を遊ばせようと論語の他の章につないで読んだりしながら楽しく自分なりの解釈をしている。蕃破と若松の作例の解説が横道にそれたようだが暗紅色、オレンジ色、紅茶色、白と四色の暖色をとり合わ十U7せて明るい色の賑やかな盛花が出来上がった。花材部被4色若松花器金紋木製盆花器柿色利水盤水仙の生花は初花を清楚にいけて、初冬の情趣を想い拙いたり、一月が過ぎて二月に入ると雪折葉をまじえ、本数も多く使うようになると、色々な花刑hを考えることができるように株分けにいけたり、他の草木の留に水仙をそえたりするのは一応二月の盛期になってから、とされている。作例は七本挿で、真(花と葉四枚)副、胴、留、住は兵と同じ枚数の葉に花をそえて葉組みする。この花烈の中で、内一刷と総囲は花を組みこまず葉だけ三枚で形造る。水仙の坐花は月によって姿を変えていけるのだが、いけられた水仙によって逆にその季節に気付かされるということもあるわけである。そのようなことで自然のサイクルに気付かされるのがいけ花によって与えられる優雅な教養であると云えるのではないだろうか。水仙の姿から梅、節分頃の街の様チから料理と色々な風物に連惣がつながって行く心盟かな約束事なのである。水仙花型行型七本挿G。、7

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