テキスト1996
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h,A7x・7hFιyHパラトマツヲイケテイツマデモアカルクタノシモウ/ー現代不老長春|漢字で不老長春と書いて、その来歴を鹿爪らしく解説すると、協臭い言葉だが、よく考えてみれば松(不老)と普綴(長春花)をいけて、いつまでも明るく楽しもうということなのである。唐詩選などを読んでいると、深い愛国の情を難しい語句で表現した沈痛な詩にまじって、思わずこんな生き方をしてみたいな、と感じてしまうような李太白の詩が所々にはさみこまれている。雨人封酌山花開一杯一杯復一杯我酔欲’’服卿且去明朝・干名抱琴米友達と二人、向かい合って一杯一杯、また一杯と柄をくみかわしているうちに、いつの間にかあたりの山の花が聞き始めたようだ。それはいいが僕は酔っぱらって服くなってきた。もう帰ってもいいけど、明円の朝、気が向いたら琴を旬、えて又来てくれないかな。今日の続きをやろ、7。という意味の詩である。自由気健な性格ではありながら、共に心から楽しく語り合える友達に恵まれていたようである。占くからの伝承を仕来り通り守る律儀さと同時に、自分の自由な気持でその伝承が本来持っていた意味を表現し直すことも大切なことではなタ6

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