テキスト1996
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水仙花型真の五株いけ花器灰白色紬盛花器十一月の生花研修会は水仙だったが、今年の冬は生育が順調らしく、質のよいものを一月中使うことができた。6行(の水仙の解説でも少しふれたが、生花で自分の個性や好みが表現できるのは、生花というものの構成がしっかりと身につき、花材の特性を理解し、技術上の訓練が出来上がってからのことである。生花の稽古を始めてから当分の間は基本的な唱を崩さず、目をつぶっていても、っちりした形にいけ上がるくらいの所まで行ってから好みを織りこめばよい。個性というものはどんなに宿り治されても出しきれなかった核のようなものなのである。「あんたはこれから花屋を大切にせないけまへんで。払いを滞らせることは問題外やけど、あんたと花屋さんとは、品物の売り買いだけの関係ゃん貯うなってきますねんよってにな、」と諭された。これは私にとって大切な教訓だったし、大阪的成比比のすぐれた一面だったと思っている。母から授かったものをあれこれと思い起こしてみると、その遺産は大変大きい。絵もうまかったし色彩感覚が非常にすぐれていた。映画が好きで驚かないではいられないほど古いことから新しいことまで知っていた。おそらく淀川長治級だろう。その仁戦前からのジャズファンで、「供のころよく聞かされた曲目が今でも名曲としい。そんな曲を暇を見付けて買っているが、この原稿もそんな曲を聞きながら書いている。父は理知的で文人的(文化人ではなく)な人だったが、母は十八オで結婚してから随分本も読まされて本来の感覚的な面に、父との出会いによって理知性も加わり私との会話も大変愉しかった。その母も十一月五日にこの世に別かれを告げた。甥は「おばあちゃまのカタチが一つになっちゃった」と云った。てCDに入れられているものが多仙渓冨リ7 ii耐!鋼

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