テキスト1996
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E−−tている。@は紅葉の深い色を際立たせている白妙、⑤はごく身近な鉄砲百合と小菊が、七竃ももう落葉寸前らしいことを告げている。花材鏑五色花持灰色柑深鉢一年のっち、他の苧節にはできるだけ使わないようにしていた菊を、菊の季節をふり返って〈5頁の花〉枯狗子草十月の中頃から解禁されたようにいけはじめる。昔でいえば明治節、現ト仕の「文化の日」の前後が本当の菊の季節である。その頃だと十種以上の菊がいつでも揃うので必ず稽古にもとり入れるのが恒例になっている。十一月の後半には随頬も減りはじめ香りの高い紅葉した突、菊に季節が変る。作例は残リ咲きの菊を集め、少し紅葉した狗子草をそえて、晩秋の名残りを、との一瓶である。可/‘ふH件花刑土真の三株いけu、、・花器藍色紬盛花器出はじめの水仙をいけるのは毎年の楽しみである。慣れればそれほど難しい生花ではないが、一葉、一葉と丁寧に形造っているうちに、その葉にそれぞれの株に自分の好みが反映されていけ上がりの姿がきまる。といってもはっきり出るわけではなく、それとなく個性が現われるところがいい。葉組の基本は7頁に図解しておいたが、花を組みこむ場合は葉は四枚、花を組みこまないときは三枚で一株を作る。袴には山形になった面があるが、そこが前面になるようにする。花一茎に葉四枚。葉だけ三枚の二種の葉組しかないが、それを様々に変化させていけ上げて行くのが水仙の生花である。そして初冬の花は葉より低くとり、追って花を高く組むようになる。一月、二月と苧節をおばあちゃまのカタチ私の甥がまだ小さかった頃、妹の家に行ったら「ア、おばあちゃまのカタチLと一五った。何を云ってるのか、よく聞いてみると、おばあちゃまと同じような顔をしている、そんな意味だったのである。そう云われれば、そんなものかなと似ていることを母と恥がお互に気付いたのはその頃からのことのよ、つである。もともと、性絡は母に似て楽天的で不用立な発言というのか、感覚で物を云うことが多いとは自覚していた。ただ妹達に五わせると、母は幼いときにほ続を亡くし、そのあと父親(私からは他父)の本主におさまった人にいびられて育ったので、人の好意をよト川一に無条件で受けとれない耐を持っていたと感じていたようである。だが私にはそんな一面はあまり感じとれなかった。母親に対して男と女とでは人柄の受けとり方が多少違うのだろうか。母は代々大阪で海運業を営んできた旧家で育ったので蜘嶋崎なところと気位の高さは併わせ持っていた。大阪の俳似だらしく出入りの商人は大切にしていたしじ舶を長切るようなことはしなかった。私がいけばなを始めたとき、86

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