テキスト1996
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テキスト400号テキスト作リはまず写真撮影から始まる。その日には身近な稽古の花材、いけばな展の参考になるようなものと色々考えて二人で買いに出かける。撮影に明け方近くまでかかることもあるが二、三日するとカメラマンが出来上がった》真を届けてくれる。そこで二人でどの頁にどの写点を割りつけるかを相談し合うが、それと同時にお互のいけばなを批評し合うが熱が入ると喧嘩に近い論戦になってしまうことが多い。レイアウトと解説を書くのは仙渓の役だが、これは大体夜になる。レイアウトに一晩、原秘書きはスムースに行くと三晩、合計毎月四晩の徹夜仕事になる。出来上がった原稿を印刷所に出すと、仙渓の方は一応ほっとするのだが三、四日すると校正刷りが届けられる。校正はよ子の役になっているのだが、これも一日の仕事が終ってからの仕事なので終るのはやはり明け方になってしまう。時にはお株な批評をつけて占き直すこともある。そんな校正が二回、そして最後のカラl校正をすませると一週間ほどで一冊のテキストが出来上がる。全部で三週間はかかるので一冊出来上がったと思ったらもう次の号にかからなければならない。だが、一つの民切りを迎えると、お四OO号までそんな毎月だったの素子fー‘dした、。だ私達に申し上げられることは仙渓したLということになるのである。い。いい加減な花は掲載できないし岡山、っ立の顔を見合わせて、「御背労様で印刷されたものには訂正はきかな間違った記事は書けないので私達二人の勉強にもなった初年である。その問、私達桑原点目寸慶流のいけばなは、どうあるべきかも考え続けてきたが、それは私達がどのような人間として生きて行こうとしているのかということになるのではないかとそのように考えるなら、では私達は皆さんの家元として、どのような信条をもって暮らしているのか、と問われることになるのだが、そうなると感心していただけるような要領のいい答えは頭の中に用意されていテキストの中に折にふ札て書いていることや、いけられた花の中には心の紫衡に触れる何かがあれば、それが私達と皆さんの静け僑なのである。そしてそのようなことでも或人にはAの点が、又別の人にはBの点で共同するという追いもあるだろう。その反響が私達の方に返ってくることで兇にいけばなに磨きがかかり、生き方にも美しい指針が見付け出されてくるのではないだろうか。桑原専慶流という、花をいけることを中心にした集まりの意味もそこにあるのだと思う。。Aところで、私達の作ったテキストをふり返ってみると、最初のうちは白黒写真で、いけられた花の質感もわかりにくかったが、262号からカラl写真が表紙に使われるよ、つになって、これも進歩の一つだった。に書いたことを概観してみて気がついたのだが初期には割合仙渓の随筆がよく掲載されていて、今読み返してみると中々面白いものがある。ユ円神社の倍り餅がたべたくなって、散歩にかこつけて出かける話、無病の剛山町、頭の中に績もり肢もった雑多な知識の使い途、その他色々な随筆を集めると、楽に200頁ぐらいの随筆集が出来そうである。の作ってきたテキストについての感恕の一部歩書いてみたが、ご購読を感謝している事を由・しそえたい。テキスト第1号から印号ごとにまとめて合冊本を作ってきましたが側号が出ると知号から仰号までの第8巻目の一冊ができます。途中で抜けた号のある万や、汚れて使えなくなった方、或は保存用にとお考えの方はお申込み下さい。一冊二五、000円でお部しか作りません。お問合せは家元事務所まで。(日月初日〆切)400号が出る機会に、これまで400号の発刊を機会に今迄私達

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