テキスト1996
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テグセミナー今年の祇園祭りも無事に終え、後片付けもきちんと済ませて夏本番/という頃、木出慌の咲く園、特函へと旅行してきました。今回は、陶芸家の直下善爾先宅や八木明さん、重松あゆみさん他の陶芸作家達と一緒に、大郎にある慶北産業大学の韓日陶芸セミナーへ講師として招待されたのです。朝鮮の焼きものの歴史は古く、古代より、日本との交流も盛んで、特に加緩(伽仰p)cと百済はとても親しい間柄でした。別年代には、新緩に攻め込まれて逃げてきた加山維の国の久達が、日本にやって来て、須す恵え器−e(窯焼き)の文化を作っています。それまで土器しか作っていなかった日本に新しい技術が入り、新しい焼きものの文化が生まれました。その後も中間の影響を受けながら李朝青磁や白磁、粉背沙禄などの独向の陶磁器文化を発達させた朝鮮でしたが、豊臣秀吉による2田の朝鮮出兵(文操・慶長の役)で、高度な焼き物の文化に続いた日本兵に、多くの職人達が連れ帰られてしまいます。薩摩に連れて来られた人達は、名をなのり、陶工扱いとなったそうですが、布団や他の土地に連れていかれた人達は、名前もその記録さえ残っていません。焼きものの技術者達の多くを失った朝鮮では焼きものの文化がそこでストyプしたのです。食堂やレストランで使われている食器は、すべてプラスチックや金属、石などから作られています。もともと朝鮮では、金属を製造する技術がか川名へ子花と陶・韓国桑原樫釜プ山錨サンの空港に着くなり、学生速が発達していた事もありますが、こんな身近な所で、陶総がほとんど使われていない事をとても悲しく思いました。宮下先生から、焼きものの技術を教える事も大切だが、生活の中で使うど下も教、えてやってほしいとたのまれた時、私に出来る事があればと思いすぐに韓国へ行く事に決めました。日本で教、えている以上の事を純国の人達にも理解してもら、えたら、これほど素晴らしい事はありません。出迎、えてくれました。釜山にある度星大学の陶芸学科の生徒さん達です。前回の総日陶芸セミナーでホストをつとめた彼らが、今回は開催のアドバイザーとして補佐しています。緯国へは大阪から飛行機で1時間半で行くことができます。町並みも日本とほとんど同じです。けれども石板・案内がすべてハングル文字で沓かれているため、おも左もさっぱりわかりません。どのお店がレストランなのか見分けることも出来なくて、ヨーロyパへ行くよりも、むずかしく、とても遠い国である機な気がしました。そんな風ですから、市内観光も、食堂へ入るのにも、大学の先生や学生がっさっきりで最後までお世話をして下さいました。大郎に行ってからも、{術から大学までの朝晩の送り迎え、花の買い出し、食事など、すべてマイカーで連れてもらいました。来、色々摘いました。韓国にはどん花は大47郎グ市の花市場で買う事が山な花があるのかしら?と行くまでは不安でしたが、告い時でいつもより種類は少なめでしたが、日本の花とほとんど変わりません。ガーベラや盤として使、えます。和則さんが、さした。パラ・ヒマワリ・オリエンタル系の桧一周・珍zr悔・擬宝珠・葉崎酬を見つけた時は、とても総しくなりました。−日自のワークショップでは私が日本から持参した花器や、陶芸学科の先生や生徒遠の作った花器をお借りしました。底に穴のあいた様(ミネラルウォーターのプラスチックボトルを半分に切り口元にワイヤーでぶらさげてよねとし。にしました。)や、不安定でひっくり返りそうな投入花器、(珍王梅や軽い花を生けてバランスをとる。)幌かけ用の水銀(績に山八が作られていて水が少ししか人らない。剣山が使、えないので花留めを工夫する。)など、どれも簡単には花を生けられません。日本では中々出米ない様な生け方を生徒さん達の前で披露してゆきました。又、キムチの即時(壷)や藍にも花を生けました。身近な陶器も使ってほしいと宮下先生からも頼まれていましたし、生けにくい花器を使うことよりも、手近なものを使って皆さんに花を楽しんでもらいたいという気持ちが強かったからです。大きなキムチの漢に生けたぶどうの木とマルコポ|ロの百合、ダリアは白分でも惚々するような?花になりました。山設の誌も大きく、広口水らりと擬宝珠の生花を坐けました。前もって生けておいた桧扇と倍梗の株分けの生花と共に、皆さんが日本的でとても好きと一番人気がありま2日目の講義には、前日のいけばなを見られた副学部長のリl先生が、ぜひ私の作品を使ってほしいと自分のアトリエに案内して下さいました。昨日の重くて渋い作品とはガラリとGA口など洋綬がほとんどで、佑便や変わり、可愛らしいテーブルウェアが中心に並んでいます。韓国に来て初めて見る物ばかりです。お阻やコーヒーカγプ、花総など沢山お借りして、その自の講義に使わせていただきました。お菓子や緯国の果物・花を使って、この小物を続開聞に見せる方法をいくつかお見せし・手品した。でも実際には欲しいなと思えるような食器ではありません。形の面白さや造形ばかりに気をとられて、暮らしの中で使われながら洗練されていく用の美というものが生まれていないように思いました。新聞の記事を見て、泣くから米られた韓国のいけばなの先生達も生徒達と共に最後まで熱心に聴講して下さいました。時間が余ると、”もうひとつ、もうひとつuと日本語で催促して、中々早〈終われません。エアコンのない教室で、外の気温は竹山℃です。あまりに暑いので、講義中にも生徒がひんぱんに冷たい缶ジュースを持って来てくれます。飲んでみると、一度も味わったことのない変わった味。麦のジュースとのことです。他にもお米のジュース、キウイのジュースなど、次から次へと運ばれてきます。「これは韓国の伝統の飲み物です口と通訳のハムさんはとてもおいしそうに飲んでいます。唐辛チ・にんにくも韓国の伝統料理に欠かせません。学生食堂のおかずには必ずキムチが添、えられています。キムチが大好きな私は、毎回残さず食べていたのですが、ハムさんに言わせると、外で食べるキムチより、お母さんの作った方が絶対おいしいとの事でした。みんな家のキムチやおかずが一番おいしいと思っているのです。韓国の学生達は、日本の学生よりとても幼〈素直な感じがしました。そして女学生はとてもきれいで可愛らしいのです。どうしてそんらにきれいにお化粧H伝統だかするの?とたずねたら、ら々という答えが返ってきました。伝統という言葉を若い人達から何度も聞いた事はとても印象に残りました。日本には、サラリと言える伝統がどれだけあるのかしらと考えてしまいます。今回の旅で韓国に対するイメージが全く変わりました。この困やハングル文字に対して、時く恐い様な先入観さえありました。けれどムーでは何てエネルギッシュでバワフルで明るい固なのだろうと思います。そして何よりも、向国の文化や食べ物を愛し、誇りに思う姿勢には頭の下がる関心いがしました。結棋はトラジ、パラはチャンミ。花の名はほとんどが緯国独自の呼び方です。トラジの歌のCDを買いました。花を恕う気持ちも又日本とは違う僚な気がしました。今度韓国へ行く時はもう少し言葉を勉強してハングル文字も読める僚になってからと思っています。写真桑原和則①大郎の鹿北大学での日斡陶芸セミういけで、珍zt梅と百合を生けています。②大きな古い瓦には向日葵と黍をとりあわせて、鶴田ののどかな四国風景を。③通訳して下さったハムさんと、花をいけるキムチの索、えらぴ。④大郎の花市場。花の値段は日本の五分の一ぐらい。ナl。不安定な投入の花器に、向9

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