テキスト1995
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グラジオラス花器灰白色軸深鉢向日葵を紋章としていたのは臼年間も王位にあったフランスの太陽王ルイ十四世だった。百合やアイリスが−上家の紋章によく使われていたヨ|ロッ。ハではかなり異色と云えそうな紋章である。ところで向日葵がアメリカからヨーロッパに持ちこまれたのは同世紀の末。ルイ十四世の即位は一六四三年なので渡来後日年たらずのうちにかなり普及していた花なのである。その頃東洋では、これも又在位年数がω余年と長く、清朝の最も栄えた康配…帝の時代で向日葵が中国にも伝わっている。東西の両王朝の最盛期を象徴したような花なのである。一方原産地のインカでは太陽のシンボルとして寺院の飾りに使われてきた。強烈な太陽の光をすべての人に感じさせるような向日葵はその後観賞用の園芸品種と、極子から食用油をとる農業品純に分かれて行く。原種の大きいものでは高きが3幻近く、花径が初句の一重咲きだったのが園芸品種では多重咲きが作られたり、草丈が少し低く、花も原種とくらべて小きいもの、そして花色も同じ黄系統でもレモン色の白Lろ妙たえ向日英、花弁の外周いか貨色で内周が茶色のオlタム・ビュlティ!等が栽培され切花として売られている。3

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