テキスト1995
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かれVTShるカ干し巾はけ制問」と車一和酌の庭ふざけあいながら、境界線を踏み越えたり、あとずさりしたり。一一一月に入ると冬と春は子供の陣取り遊びのようなことを繰り返している。そのふざけあいを少し違恐そうに横目で眺めながら庭の草ホ瓜はしっかりと日溜まりの暖かみをとりこんで奮をふくらませ、枯株の聞からせは柔らかな緑の新芽をのばし始めている。遊びの度が過ぎて、時々三月の末に大雪の降ることもあるが、冬将軍はそれに満足したように、どこか遠くの国に去って行く。私には嫌いだと思うような季節がなさそうである。ただ異常に長い梅雨に穆陶しき歩歳ルじたり、日照り続きに枯れる庭木の命を惜しんで天を恨んだりするが大体一年中自然をのんびり味わっている。おそらくそれは、いけ花というものを知ったお蔭ではないかと思っている。ただそれも京都というおだやかな風土と、その長い歴史に積み重なった独特な文化の一端に触れたせいでもあろう。この一作は庭の一隅の季節をそのままのように移しとった李の花である。花材枯ザ亡刈萱朱木瓜花器灰白色粕水盤11 I

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