テキスト1995
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Jタヌ向いおやまメイランファン梅と蘭昔、といっても五十年程前、京劇(中国芝居)の名目二名女形)に、梅蘭芳という人がいた。中国の文人達は、梅と蘭を花の最高位においていたが芳しく匂う梅と蘭、という芸名は余程の名優でなければ世間も承知しないだろう。だが戦後共産党が中国を支配するよ、つになった昭和三十一年にも京劇の名旦として日本公演にも主役の一人として来ているからには本当に良い役者だったのだろう。慶暗に奥野信太郎という中国文学の先生がいて中国語を教えておられた。北京の燕京大学から戦後帰国されたばかりで慶曜の名教授のお一人だったが、あちらで大変楽しく過ごして来られたのだろう。授業はすぐに京劇の話になったり食べ物の話。子供の頃から中国文化に憧れていた私は中国人の生活の出の匂いを嘆がされるようで、他の授業には殆ど出たことがなかったが、奥野さんの時間だけは雑談を聞くためにだけに出席していた。梅蘭芳とも親交があったらしいが北京では学者同志の学問だけの交際をこえて、中国人の生活の中にとけこんで中国文化に傾倒しておられたのだと思う。昔はそんな大学の先生も少しは居たようで、京大の青木正児先生は中国の酒と料理の本も出しておられる。芝,4

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