テキスト1995
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水仙の雪折葉花型花器初冬に越前岬から京都に送られてくる水仙の初花の柴はよ直に伸びているが、年が別けて勺を被ると、その屯みで勺折葉がまじるようになり、それらを化引の叩にとりこむのが一、一一月の水仙の生花である。そして初花の頃は花より葉を向く扱ったが、の高さになり、二川に入ると花は集よりも兵で五、六H,高くなるので形もとりにくくなる。水仙を単に造刑h素材と考えるならどうでもいいことかもしれないが、冷たい北風の吹く海岸の崖地に健気草刑字削流し六角形簿端一月には柴と花が同じ位に咲く姿を恕えば、初花の頃より厳しい向然の状況を花引の中に写しとろうとする気持があって当然のことだろう。勺折葉水仙の五本いけである。この花刑しでは副の主焦が折れ曲がって事れ下がっているので右N向へはあまり張り出していないが伸ばせば兵と同じぐらいの長さになる。点の主集の先は本来よりιにいるが、その代りに点の長い花の茎で調「をとっている。五本ともが花をそえた嵯期のいけ万である。兵庫県南部大震災被災者の皆様にお見舞申し上げますトじH未明、京都でも驚いて成び起きるぐらい強く隠れましたが、早速ラジオをつけて兵崎県の械fを知りました。出てその出後からはテレビで刻々と状況を伝える映像は仏昨しくなるほど大変な惨状でした。被災地の皆様に、この大地受けになった御被害に心から御見舞申し上げます。思い起こしてみれば阪神地むにお住みの皆様は、昭和九年の宅一円台胤、万やお亡くなりになった方、そして生昭和十二年の大水害、昭和二十年のAJ凶のの空襲と三度の大きな災厄にお逆いになった上、今凶の大地中氏と、半世紀の間に四度も生活を破壊されてしまわれた択です。引払も神戸に住んでいて空襲迄三度の災万は経験致しましたが、四度目したが、在吋が神一いの山下に一人住いしておりますので二卜Hに阪急の阿広から神一戸の三店迄、和則と二人で徒歩で救出に参りました途中μでの惨状に二人共言葉もなく四時間ね歩き続けました。ようやく舟の無事な姿を見てほっとしましたが、親しい万を失われた活の恨拠を失われた皆僚の干」とを思μ災には遭遇せずにすみまうとお慰めの申し上げようもございません。いけばなに生き叩斐歩此ルじて過ごして来られた万の中にも長年かけてお集めになった花器はおろか、家も失われた・万も多いと思います。お力活としはお察し申し上げますが、戦後無一物から現在の繁栄を築き上げた日本人です。協力し合って復興に努力したいと存じます。お3

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