テキスト1995
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活けて、撮って、割付けて、書いて、という月課も今年でもつ十五年になる。先代は自分のテキストを見返しながら「いけ花というものは中々上手になれんもんやな、ってた。自分自身の仕事を虚心にふり返る気持があればこそ私にもそう云えたのだろう。だが上手とか下手という尺度は成長期にあてはめる尺度ではないのだろうか。その頃先代は七十オ代で、いわば円熟期に入っていた筈である。まだ先の見通しも瀧無な私に、自分のいけ花に対する誠意と、誠意を持ち続けることによって到達し得る融通無碍な世界のあることを何時か示してみようとしていたらしい。素子もいけ花には親譲りの真塾さを持っている。作風は華やかだが、自分自身には大変厳しい。このカットは写真をとりはじめてから後の方で気になる僅かな部分を改めて手直ししているところである。活けて、撮って::隆ちゃん」とよく云11

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