テキスト1994
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夏は赤道直下と変らないくらいまで気温の上がる日本。冬はシベリアとまでは行かなくても零度以下になる日も珍しくない。日本家屋は、わざわざ街術部に云われるまでもなく、「夏を旨として」建てられていた。冬場、本当に寒いのは、一月の十日過ぎから二月一杯、約五十日間ぐらいのものだろう。その間昔の人達は暖房に頼るより、重ね着で齢いでいたようである。「夏を旨と」した家々の冬仕度には一体どんな家具や調度品が用意されていたのだろうか。拙嵯に思いつくのは火鉢ぐらいしかなし。冬にくらべると夏を迎、えたときの案内の哉、えはかなり配慮が行き届いていた。艇が吊るされ、機、峰子は賓戸に入れかえられる。奥の聞には篠の俳代、中の間は篠育が敷かれ、軒には風鈴や市役、そして硝子の金魚鉢を出して金魚売りの呼び声を待ちながら夏を迎えたのである。それは日本の夏の炎暑を少しでも気分で凌ぐための演出だったのかもしれないが、実際に涼しかったように回心、っ涼しきの記憶の中で、快く心に染みついているのは、戦争中、旧制の中学生の頃、勤労動員で熔鉱炉で働涼しそうな。2

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