テキスト1994
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7しF4VUふ+干A4られている。色はおとなしいが直径が印でほどあり、花がたっぷりいけられる。朱塗りの大きい円卓に置いてみても、しっくりと色調が合っていて、クレマチスの淡紫色を明るくひき立てている。クレマチス花器かいらぎ粕水盤庭京都の町家の中の小さな献お(前庭)や中庭は、座敷から紋を眺めて気分を休めるだけのために作られている。従って子供がそこで遊んだりする空間ではなく、石燈能や庭石、そして毎年手入れが続けられてきた常緑樹が植わっている。整然としすぎていて、遊びがないように見えるが、この、お岳部の盛花を飾った石卓を私達夫婦は朝食に使ったり、お茶の時間を過ごしている。今月は私の家の中のいくつかの場所にいけ花を飾ってみた。花をいけることに専念している私の家と、皆さんのご家庭とは状況が違うかもしれない。だが花は自分の考えでいけるものであり、そこには必ず自分の生き方がにじみ出るものである。良い生活というのは自分の手と煩と心で創り出すものである。物の豊か過ぎる現在、うっかりしていると暮らしに賛肉がつきかねない。簡素ということも再考すべき事柄である。モンステラ7枚10

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