テキスト1994
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そ的いよし肉ぎ〈・一人の味覚というものは、かなり保守性の強いものである。当然のことだろう。子供の時から一日三度の食事、週に幻回、月に卯回の三食の殆どを自分の育った家の料理で成長して行くのである。味ごころうちの一食にすぎない。家で作られる料理にはまりこんで、それが一生自分の味覚が作り上げられてしまうのである。週に一度外食するとしてもれ回のの食物に対する感覚を左右することになってしまうのだろう。いわゆる「おふくろの味」としてだがその味は選択の許容範囲の幅の非常に狭いものに仕立て上げられる。例えば、おからの炊き方一つにしても、カラッと炊く家で育っと、しっとり炊いたものには違和感を抱いて不味く感じる人になってしまう。おふくろさんが柔軟な味覚の持主で、色々な味を子供達に与えることができれば良いのだがそうも行かない。(この花型は留流しが寒桜に向いており、副はあまり帰り出さず、痩せた感じで留は軽い枝を長く伸ばす。柄引次号へ)一一月の下旬頃からいける彼岸桜は枝の太い部分から細枝が多数分かれ出ていて、その細枝に蓄が短い間隔でついているので咲き始めると、花瓶の上で染井吉野桜の満開したときのような風情がある。太枝で輪郭をとり、細枝を多数使って厚みをとる。花型は副流しとして、副と胴の沈みに花を集める。け彼岸桜彼岸桜〈4頁の生花・副流し〉写真と図解〈5頁の生花・副流し〉写真と図解臼里口桜寒桜は閑寂に、彼岸桜はふっくらと華やかにいけるが、里桜は枝が太く、花もぼってりと大きいので、彼岸桜や寒桜より大型の生花になる。副流しにいけると重量のバランスが崩れやすいので留流しがよさそうである。技数はあまり多くはいらないが花付きのよいものを選ぶ。花器は桐のふくらんだ重いものを選んで留流しにいけた。副の枝に曲がりのきついものを使って花型に変化を求めた一瓶で、変型の副流しである。5 n

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