テキスト1994
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円HHF却ザLみ、「ノ棲。花型二種挿草型花器青銅耳付花瓶仏併郵概の芽がまだ固い頃には元日桜や啓翁桜、三月に入って少しふくらみ始めると彼岸桜が咲く。私は枝垂柳と桜というとり合わせが好きなので、三月と四月の初旬にはこの二種類を使った立花をよく作っている。流儀によっては桜を一色物としているが川岸の並んで植えられている枝垂柳と桜は日本の春の最も美しい風景の一つである。このとり合わせを生花に応用したことはなかったが作例は二月下旬に元日桜を使った一瓶である。三月には他の桜で華やかにいけてみたい。いつか突然花屋きんに、お花が来なくなって、お花が買えなくなってしまったらどうしよう?その辺に咲いているお花を切ってきたりすると法律にふれることになったりしたら・・:時々そんな危機感に襲われることがあります。と言うのも私達を取り巻く環境が日に日に悪くなって、しまいには花を育てることもできなくなってしまうのではないかと思われる現状が、毎日花に触れている私を不安にさせてしまうのです。それは水面下の問題とはいえ、心配だと感じている人もおられるのは事実でし丁度そんな事を考えている時、偶然にも私は不思議な縁で自然環境保護団体(JEE)で活動している女性と出合いました。彼女は私より一周り上の申年で、京都支部のリーダーです。彼女の素直で暖かな人柄に魅かれて活動している人達の和やかな集まりです。彼女は私達の生活の中で何気なく利用している物が、世界の大切な自然を少しずつ壊して行っているということを私にも様々な例を通じて具体的に教えてくれます。今まで新聞やTVで漠然と感じていた不安が予」れから先どんどん私達に影響を及ぼしてくる事を多くの人の実感となっていないという嘆きには私も強く共感しました。いくら御自慢の料理で食卓を調え花の未来桑原はなょうとしても、その為に出る有害なゴミの所為で花も飾れなくなってしまうという日が来れば正にそれは悲劇です。人間というのは勝手な生き物で、ついつい自分の都合のいい様な手段を考えついてしまうものです。私はやはり自分が見て、その美しきに感動出来る様な花を生けてゆきたいと思うのですが、これから先もそんな花は在り続けてくれているのでしょうか。でもやっぱり何か自分で出来ることからやりはじめなければならないと、前向きな生き方をして行く努力歩子る方が自分の為にも良い事だと思、つよ、つになりました。意外と気付かない小きな事でも、自分でふとこれは気持悪いとか、不自然な感じを覚える事に対しては自然保護ということにとどまらず、身近なこととして、いけたい花や木々を、自分の子供や孫の代までも残しておく為にも、そこに目を向けるべきではないでしょうか?お生花にいけられるチューリップがなくなってしまったのも人聞のエゴの結末でありましょう。エゴで変質したという事は無くなったのと同じ事です。他にも、もっと多くの植物が失われて行っているのです。花を愛しいけている人がその事に無関心であってはいけないと思います。とにかくこれからも自分の心をゆだねられる花がいけられて、それに感動することが無くならない様、祈っています。8

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