テキスト1994
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会期会場第M回国際園芸学会協賛いけばな展8月幻自⑤lm日⑧国立京都国際会議場出品者右の一株立砂の物は、海外からの参加者も含めて約三千名の学会員に歓迎といけばなの紹介のために、「いけばな圏京都」の同人が協賛して開催したいけばな展の私の出品作である。他の学会とちがって、私達にも深い関係のある学会なので、出品作に対して学会員がどんな反応を示すのか興味があったので立花を出品した。現代の園芸学の動向についてはよく知らないが、爆発的に増え続ける世界の人口に対して科学技術は最大限に利用して、それに対応して行かなければならないのは当然のことである。だが心の領域に属する花に対して、改良という名目であってさえ、これ以上変種を作る必要があるのだろ、フか。桑原仙渓「吾、唯足るを知るLという言葉がある。食料の足りなくなるのは大変具合の悪いことだが、現在のような科学技術によって生活の大部分を支えられている生活に自然のリズム(季節)を感じさせてくれるのは花だけなのである。出品した立花の花材は、人間の手によって育てられはしているが、いずれも季節に順応して育った自然品種、或は向然変種の草木を使って立てられている。花型の構成も何百年かかかってこの国の風土に合わせて自然に出来上がった立花砂の物型式のいけばなである。花を多彩に使って作り上げられたフラワーデザインの華やかさはないが、植物自体の生命感は季節をテ!?に遺憾なく表現できているのではないだろうかと思う。それが日本の古典的ないけばなの面白味であり、又それが見る人々に親しみと共感をよび起草」すのだろう。ここで私が申し上げたいのは、いけばなには装飾という一面と、自然との結びつきというもう一面の大切な役割を常にしっかりと意識しておいてほしいということである。7

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