テキスト1993
80/145

別に使わなくても晴と書けばすむ字である。だが舞と晴ではどこか感じが違、っ。普通に考えて晴は空が青く見える天気のことだが、審の方は雨の下につけた膏(斉)の字は一膏にというように使われている。だから替の字は雨が気持ちよく降リ止んだという感じで餐朝、張月とか使われている。晴朝、晴月ではただ天気のよい朝と月夜に過ぎない。私は子供の頃から中国文学が好きで漢字に親しんできたのと、父が言葉をよく考える人だったので、この感じはこの言葉でしか云い表わせないとかいうことがよく話し合っていたせいで未だに言葉に割合いこだわる人である。だがテキストに自分の好きな漢字言葉を並べてみても、それは独ひとりよ善がりで扱って無知というべきかもしれない。曇り後晴れの晴の字、雨が降り止んだ後の清々しい青空を意味する審という漢字を日本語ではただ単にハレと読んでしまう。反対に日本語にも同じように見える現象の小さなニュアンスの違いを様々な云いまわしで表現していて、それを外国語に献訳する人は大変難しい。日本語、漢字による漢語に加えて世界中の言葉が無制限に混雑している国で、世代問、或は同世代でも仕霧れ問|はれま|ぜいい司せH6

元のページ  ../index.html#80

このブックを見る