テキスト1993
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八4頁の花〉〈5頁の花〉花材郷燭花器染付横長水盤日本の郎聞は四月の山邸周から咲き始める。山の斜面の雑木の下に大きくひろがる淡紅色の郎燭の群はけく優しく、故・ま句、、郷p−の花と云った感じである。山の邸燭は庭にも植えこまれるようになって多くの変純が生まれた。小さくまとめることができて葉もよく繁るので、どこの家の庭にも必ず一、二本は摘えこまれている。いけ花に使われる跡問の多くは古くから作り続けられてきた栽培品位だが、校物花材でも大木ではなく、庭の花という気持でいける現しさがある。だから醜聞と有薬というとり合わせは庭の一隅を再現するような感じでいければよい。とくに高層マンションに住む場合、部屋の装飾に終るデザイン的な花よりも、何気なく季節に怨いが拡がるいけ花が盟かなうるおいを感じさせるのである。4貝の盛花は庭の一隅をそのまま水盤に写しとったような感じにいけられているが、花に花の器という道具を大きく働かせたいけ花である。花の器もとりあわせの一部であり、4貞の雌花にも、庭の一隅を上品に古巣(・ピンク)5頁の二瓶飾りは、再現するために染付の水般を使っているが、ここでは私達の身の廻りの品物と草花とのかかわりをいけ花としてまとめている。都忘れを挿した青磁の小さな鉢は都忘れという草花の名前とは反対に洗練された部会的な食掠なのに化とよく合っている。又左側の手製の青竹に煎をいけると野道の初夏の記憶が鮮やかに浮かび上がるそしてこの二つの花と器が黒槍りの敷板の上で出逢うと親しみ深いが上品な募囲気が醸し出されるそれは長い歴史に洗練された日本の都会の芥囲気なのかもしれない。又、都会的ということは流行的なモダン性ではなく、少しずつ捻り重ねられて行く歴史の上にあるのではないかとも思う。突発的な創造性は大切なものだが、それはやはり時間をかけて使いこなさなければ容易に恥達の生活の場に入ってこないものである。i4

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