テキスト1993
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》l。「桜を楽しむ」桑原はな「勾欄のもとにあをき瓶のおはきなるをすゑて、桜のいみじうおもしろさ枝の丘尺ばかりなるを、いと多くさしたれば、勾欄の外まで咲きこぼれたるひるっかた、大納言殿、桜の白衣のすこしなよらかなるに、こきむらさきの同紋の指賞、しろき御衣ども、うえにはこき綾のいとあざやかなるをいたしてまゐり給へるに・・・・・・・・」こういう文句を耳にすると、その背子安時代から桜というのは人を幻の優美な世界へ誘う魅力を持っていたのでレょ、フ今年は幸運にも夜桜と昼の桜を一会ずつ楽しむことが出来ました。場所や日はそれぞれ違いますが、私の場合、なかなか団子を離れて花見に陶酔するのは難しく、おいしいお弁当や粋なおしゃべりの万にばかり気が移ってしまう様でお恥ずかしい次第です。白色淫の様なお花に携わっている者は桜の咲くシーズン以外でもお花の会や取材でよく肱をHにする宇が多いのですが、でもやっぱり実際の地に根を張った大本のドでお花見、というのはすごく人間らしい自然な行為だと思うのですcただ私の場介、花見の席でふと目に止まった桜の枝を見て、「おっ、あの校投入れにいいな。一本欲しいな!日などと言っては、周りの紙訟を買ったりするい巾けもありますが、まあこれも花道家の自然な気持ちを正直に口にしたのだと大目に見てやって下さい佐一と夜で全く異なった二つの人格を持ところで私達が目にしている里桜はっているように思います。特に京都というのは伐沢な町で稚びやかな銘木が数えきれないねあって、その中には夜似の名所もそれぞれの比Hがある様です昼の桜吹雪の中にいると桜の初々しきを肌で感じることができますが、夜の枝事桜を舵Wの炎の横で見上げたり、スポメトライトを浴びた桜の枝が透き通った川に写っているのを見るとなんとも一一一一口えない色れがあり、幽玄な世界に存み込まれてしまいそうです。その比円、源氏物認めような世界の中で美しい女性が和歌を謡い、それを聞きながらその女性を黙って見つめていた殿方がいたのも、やはりこんな桜のドだったのではないかと忽像が膨らんでゆきますどんな悶にも人を幻忽の世界へ誘う花があると忠いますが、その中でも京都の桜は格別の駆と風情を持った花だと思いますいろんな同で見た木々や花も京都で桜を見ているとなんだか物足りない機なれがします桜が日本の国花だという前に、人は俗世界を忘れ、持い散る法紅色の花弁の美しさに酔わされる心地よきを楽しむのが山然な安なのでしょう。そして自分だけの桜の場所をつくって誰にも内初で栄しむのも良いかも知れません。また米年も桜のドでれを汁しんけった友人達と花より同子といった調fでワイワイやるのが楽しみです1993•彦事‘s‘3.1129日型宇理E聾F芹-用調『{夕刊}月唱| なぜ挺」ik~i騒マ季節・バ・‘お花見三種| 10

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