テキスト1993
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片品λ付きのスイートピーの茎には柴スイートピー花型垂体刷流し花器トルコブルl色軸花瓶やヰ制定、蓄が短い花柄についていて、いかにも豆の花らしい姿形をしていづ令。普通に切花として売られているのは茎から切りとり化柑(花の州)の部分だけなので、化の色の美しさを見ることはできるが豆の花という感じはうすれている。生花には一定の花型があり、その形の中に刷物の出生の自然を写しとろうとする内然を一定の花引の中におしこめようとするのは一一見無理なことのように思えるが、自然にも秩序があり、生花はそれをいけ花の長い歳月をかけて見事にまとめ、花引にとりこむことに成功した。江戸時代の中期から現代まで三百年近く、日本人の刷物観を形にまとめる下段として生花がいけ続けられてきた理由もそこにあるのではないかと思っている。生花で用いられる花村は日本の風土でその生態が精織に観察されたものが、王になっている。江戸時代から少しずつ洋花も渡来しはじめたが、凶片出好きな日本人はそれを日本の風土に恨付かせてから生花の型を与えてきた。山川然な生態を知らないで引にあてはめたのでは生花にならないのである。先代が「ある研修会で紫苑をいけさせたところ集を使わずにいけた人があった。形良くいけられていたが、それでは生花にならない理由を教、えるのに手古招った」と云っていた。スイートピーも斐付きなら生花にできるのである。7

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