テキスト1993
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勿諭そう簡単にネアンデルタール人と花の関係をきめつける訳には行かないが、心の中の大切なものは美しいものへと転化して行くのだと思ってもいいだろう。人々の生命と化の生命のサイクルが共鳴し合ったとき初めて花は私達の心仁科く、長嶋をM也、えて私達と比ハに生きる部となる色であり香りとなるのである。花は始めから美しかったのではない。四手それぞれに咲く花との巡り送いに彪達の一年が刻みこまれ、そこに深い忽いが制み重なって花を美しいと感じるようになってきたのではないのだろうか。憾の花は人それぞれの苧の想いを彩リ、紅葉の季節は様々な色合いに人々の生きようを染め上げる。人は造花には語りかけないが、生きた花には何か話しかけよ、っとする。ネアンデルタール人の山枯らしていた時代、川人知にはすでにそんな心情が芽生えていたのだろう。U払はネアンデルタール人が生への夢を花に託した気持を美しく優しいごく門然な愛の心だと感じている。神観念や示教への入ハのような偏狭なものでもなく、美をもまだ意識しないよ朴な人顛の祖先の持らしを民間見せたのである。私達が花をいける心も、遠く旧人傾の時代まで湖ることができるのである〈2頁の花〉花器ティーカッフ2コ〈3頁の花〉〈表紙の花〉花村ミニチュアローズ二色スマイラックス花器白磁皿二枚と赤ガラス鉢作例は食卓を飾るためにいけたミ一一パラだが、手近にあった白磁の大血二枚の問に赤いガラスの小さな鉢をはさんで点さを作り、配色の統一を考えている。ミニパラはフラワーデザインのように、化のかたまりを作るのではなく、茎や葉も花型の構成の中にとり入れ、前に濃赤色を群がらせ、後にヒンクを配して奥行が感じられるようにしている。更に挿口にはスマイラックスをそえて花留を隠した。花村スイートピー向・ピンク菜の花ボンボン入れ表紙の花と同じように食卓の小品花としていけたスイートピーと菜の花である。小品花は親しみゃすきが魅力で遊び心も入リこんでいるが、遊びが大きく前面に押し出されるのはよくない。その花の持味、自然な姿の不思議さを素直にとらえ、作り過ぎないようにしたい。花村アイリス5本ガーベラクリームピンク花器ガラス鉢3 3 本本紫3

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