テキスト1993
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一時美しく照り映える雪柳の紅葉も、もうそろそろ葉も散り果てる初冬になってしまった。雪柳は横枝を長く使って副流しの垂体にいけることが多い、作例のような真の花型にいけた雪柳をテキストに使ったことはなかったと思う。ただこの花型は真の草にあてはまる雪柳紅葉白菊作例で、稽古の際にも枝ぶりによってはこういう形になることもあるの花刑其の草でとりあげたわけである。花器淡褐色軸花器挿しではその鮮かさを充分表現できないので白菊等が必要なのである。紅葉した雪柳の色は美しいが一種宇治市いけばな協会いけばな展今年の宇治市いけばな協会展は、ω月刊・げの両日市民会館で例年通り開催され、私達は同日に拝見に出かけた。このいけ花展には当流から毎回ωが目立って出品作全体の評価を押し瓶前後出品されているが、会員の皆きんは平素からの交流が深いので出品作の傾向について打合わせが行き届いている。従って重複するような出品作や花村の使い・万がないので、一作一作の良さが快く響き合っているような感じをつける。これは非常に大切なことで、とくに当流のように多数の出品作が続いて並ぶ場合、各社中の間で相談し合う溜慣が育っていないと欠点ばかり宇治支部下げてしまうような結果になりかねなし。今後も、様々な支部活動を通じて当流のいけ花を向上させて行って頂きたいと願っている。「花と私」桑原はな私が小学校の頃、姉は一時祖父の家に鼠けられていました。いけ花の修行のためだった訳ですが、その時から姉妹、そして姉の存在を大きく考えるよ、つになりました。姉は六角の家に、私は両親と御池通りの航空ビルに住んでいたのですが、姉だけ別に暮らすということに説明し難い寂しさと疑問を感じました。いくら修行のためとは一五え、どうして家族、姉妹が離れ離れにならなければならないのかと言葉に表せない不満でいっぱいでした。それは姉がそれまで与えてくれていた愛情と、私の姉に対して持っている断ち難い愛情をはっきりさせる意味をもっていました。大袈裟かもしれませんが、まるで身体の一部がもぎとられるよ、つな気持でした。でもかえってそんな経験をしていだからこそ、今の暮らしがあるのでしょうが、その頃の私は、そんな不満を憎々しく両親にぶっつけていました。それは反抗期と重なっていたらしく、かなり頑固なもので両親も手を焼いていたようです。けれどもいつかしら又皆揃って夕食をとったりして一緒にいられるようになるのだというのが大きな希望でした。丁度その時分、私は毎週祖父のお花の稽古に六角の家に通っていましその46

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