テキスト1992
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いろあい五月の念敷新渓閑のいけ花展で、姪が朱塗の片口にかわいい花を上手にいけていた。妹の家ではその片口を洞器として使っているらしいが、一背前には、陶器の片けが台所用品として使われていた。日用品としての雑器は古くからいけ花に転用されてきた。というよりも古代においては花をいけることがあまり行われておらず、従って花器も存点し得なかった。花器としての水盤の盤は中凶占代の行制経器としての手洗用の器のことであり、同様(つぽ)も酒や水に祭器としての壷を入れるものであり、その口の細いものが瓶である。そして後世になって花をいけるのに便利なので本来の用途とは追った使い万をされるようになった。花器とされるものの原形は祭杷用具、又は日用雑器を応用していたと云ってよいだろう。元々そういうものなので水の入る器なら何でも花器になる訳だが、水の入らない能でも中に竹筒をいれて花をいけるようになった。朱冷の片Uにコスモスと満作をいけてみたが、片口の色相はイタリアの赤い陶器に似ている。片口と考えれば日本的な感じがするが、色と云い形とエい、古典的な日本の草花だけでなく、もっと多様な花村がいけられそうである。片口4

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