テキスト1992
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、「J主主。らジさ急bせい、ゃう的,、かす風早くから都市化した中京に住んでいると、夏のうち、いい風だなと思える風に巡り逢える一刻があまりにも少ない。それは私が涼風に恵まれた神戸や、京都でも東山の裾に長い間住み慣れてきた所為かもしれない。中京の真夏の午下がり、寛の水音が乱れると、中庭で薄の葉を揺らせた小さな風が座敷を通り抜けで行く。生温い風だが軒が深くて夏の日射しの届かない奥の問、中の間、表の問と澱んだ部屋内の允エ気を運び出してくれる。そんな小さな風の訪れの聞が詰まりはじめるのが中京の秋の気配だろ李節は日に日に微かに行きつ戻りつ変って行く。はっきりと自の前に捉えて見せることは出来なくても、心の奥底ではしっかり感じとゥているようである。そして、心の奥底に感じとっている季節感をはっきりした形にしてこの目で見、手に触れたいと様々な営みが続けられてきた。いけ花をはじめ、日本料理や着物にその心を托して、その季節を精一杯、深々と実感して生を営もうとしてきたのが京都であり日本なのである。いけ花は日々の何気ない暮らしの別−−LZ‘‘2

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