テキスト1992
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扉札町駅舶がヨーロッパから渡来したのは一八七三年らしい。そして中部地方などの冷涼地で栽培されているというが、その後一二0年間大して有用祝されていないようである。少しぐらいはジャムやゼリlに加工されてはいるのだろうが生で売られていることはない。主%ドさすぐり私達が街で見かける房酸塊はいけ花のための切枝ぐらいのもので、それもほんの一時期だけにすぎない。花材としての房酸塊は分かれた小枝があまりなく、直線状の枝から直接花軸が出ていて、そこに多数の実が房状にぶら下がっている。た多数の小枝に実がついていれば幅があるので形をまとめやすいが、房酸塊は何本かの枝に高低をつけて挿し、枝を傾けて房が形良く垂れ下がるよ、つに見せる。又果軸の生はえ際に小葉が密生して房を覆い隠している葉を整理する。房酸塊は秋の発物花材と違つて青々した葉も季節感として重要なので実との美しい対照を見せたい。とりあわせには細かい花よりも作例の鉄砲百合のような大輪で淡白な色彩がよきそフである。花材房酸塊鉄砲百合花器瑠璃色手付水盤配M金手のよ、つに主枝から分かれ夏の実物花材Zh10

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