テキスト1992
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フQ二十世紀の後半、いけばなは多角的に変化し、目新しきを見せてきた。一方古典的立花や生花も現代を吸収しながら変化し、生長を続けてい。室町時代に生まれた素朴な立て花立花から生花へ:::そしてい守合。も、時代背景の変遷と共に様変りし、江戸時代に入って立和とよぶようになる頃には堂々とした姿に生長してそして生花も江戸時代の中期、その撲索時代が過ぎて理想的な花型を発見してからは、当時の植物学的な知識をとり入れて次々と立派な原典が作られ花型にも移しい変化が見られるようになった。室町時代、立て花を観賞したのは上層階級だけに限られ、花を立てたのは将軍の側近に仕える同朋衆だった。この時代、日本人の自然観の表現としてのいけ花の理念が定まったとはいうものの、当時の上層階級の人間関係の不安定さと酷薄きを反映して、弱者が強者に迎合しようとして無用な禁忌が数多くつけ加わり、或人は当時の伝書は「布市」集のような感じがするとさえ云っている。勿論当時の時代背景の外にあって、花そのものの世界を表明するいけ花もあり、それ故にこそいけ花というヴ令。花型が定型化した上に法則化した文化が育ち続けてきたのである。いけ花がかなり自由な発想でいけられるようになったのは江戸時代初期、池坊専好、大住院、冨春軒仙渓と続く時期で、その後立花が低迷しているうちに生花が発祥期を迎える。この百年間はいけ花にとって大変恵まれた時代で、社会は安定して豊かになって花井園芸が普及し町人階級までいけ花が楽しめるようになった。花井園芸が身近なものとなると花の見方も変ってくるし、町人階級の聞のゆるやかな人間関係は無用な禁忌の束縛を開放することになる。生花の時代の著しい特徴は出生観察の精密化である。日本の本草学は元禄時代あたりから現在の植物学に発展して行くそって花道家達はその知識を借りて生花の法則を作って行くのだが、植物の生態と季節との関連をとくに重視している。社若の四季のいけ方を見ると理解しやすいが、立花の時代よりその法則は微に入り細にわたっていて、ついには花型までがんじがらめになって身動きできない袋小路に入りこんでしまったような感じがす出生の約束事で身動きできそうにもない立花・生花を私は一体どう扱えば良いのだろうか。だが私は立花・生花をいけることが無上に楽しいのである。次号でそれ歩量聞いてみようと思っている。8

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