テキスト1992
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hu 『.‘よりあい幅二・五M、しんちゅう…のパイプを組んだ空間に花を挿していく桑原仙渓さんと素子さん(京都市内のホテルで)2月2日朝刊第1面第三種郵便物認可桑原専慶流いけばなテキスト加号室町時代には何かにつけて寄合いが行われたらしい。今で云うパーティーなのだが、その頃の日本人は社交好きで茶の湯ゃいけばなもそのよ1992年3月1日発行(毎月1回1日発行)桑原専慶流家元発行うな場から成長してきたという一面もある。その後徳川時代になって寄合いは圧迫され日本人は社交下手になったという話もある。だが花や美チェンバロの優美な曲が流れる。それに合わせて、銅としんちゅうで打ち出した大小の葉に赤やオレンジの花を挿していく。一緒に楽しむ三百八十人のお客。貴人の前で花を生けて見せる「花点前」。生け花の原形が出来上がった室町時代の開放的で明るい気分をそのままに再現しようという試みが、一日夜、京都のホテルで披露された。流祖から三百年の歴史を持つ生け花、桑原専慶流の十四世家元・桑原仙渓さん(六四)、素子さん(五九)夫妻が、作品集『花ふたり』の出版記念に企画したもので、チェンバロの演奏は中野振一が、立春近い京の夜に、は郎さん(二七)。味を前にしての語らいは心を豊かにし美しいものへの憧れを深める。ゆっくり一一一時間でも四時間でも楽しむ「花の寄合い」を時々聞きたい。この楽器が製作されるようになった十六世紀は、ブランドル派の花の絵が盛んなときで、王侯賓族たちは自分の宮廷で演奏されるチェンバロに好んで花の絵を描かせた。この目、中野さんが弾いたチェンバロの内側にも、スミレ、サクラ草、パラなどの草花が美しく描かれている。花とチェンバロの出合い。時間にして二十五分。「花はもともと室町時代の寄り合いの席のもの。非常に客を意識していた。時代を経るにつれて窮屈になっていったが、もっと自由に、楽しむ気持ちを取り戻したい」という家元夫妻の思いんなりと燃えた。定価五OO円設舎一新聞~ 1992年(平成4年)2月2日(日曜日〉言霊主主雪表F子毘罰

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