テキスト1992
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Eヨ川月年一一一渓然さのん息〈吹六を四)い、け素て子さいんく(。五九)染昨年十一月、「花ふたりLが出版された時点で私達が家元を継承して丁度十年になる。あまりにも忙しかった十年なので、ふり返ってみても、なことをしてきたのか頭の中で順序立った整理もついていない。駆け抜けるような十年だった。「花ふたり」もそんな毎日の中から生まれた一冊であり、二人で作った初めてのいけ花の本でもある。H花ふだりの刊行を記念してリ日一うのつるを組み合わせた脳O一三好の手作りの花協に、チ3一ェンパロの淵ベに乗せて日μ一夫妻U写真Hが二月一日町一に、JR京都駅前の京都セ平一ンチュリlホテルで「花|9一して、乙の地から得たもの銅版で作ったツバキやアンスリウムの架と、真ちゅ原専鹿流家元十四世桑原仙夫婦そろって京の春いける私達がいつどんこの本は発刊前にも申し上げた通り、花のいけ方を解説した教科書的なものでなく、又作品集という自分の佳作を年代順に並べたものでもない。京都の暮らしを一九九O年の七月から一九九一年の六月までに区切っていけ綴ってみたのである。度重なる幸運な風物、撮影日に願っていた雪に恵まれた上賀茂神社、晴れ上がった日の夕刻の大田神社の出釈の紫、長らく京都に住んでいてもあまり巡り合えない美しい一瞬だった。京都の美しきはまだまだいけ終っていない。ほんの一部に触れただけにすぎない。本の出来上がったのを機会にいけ花展を開こうということになったが、幸い流内の皆きんの大きな賛同を得て積極的に企画を進めることができた。当初日人程度の出瓶数を考えていたのだが出品希望者が多く最終的には代表者幻名になってしまった。そして会場は紙張りのパ台でなく、生きた空間を使いたかったので、京都センチュリlホテルLとロμ華道桑原専慶流の家元桑秋刊行した生け花写真集「花ふたり」を記念する「花l七十人展」が、このほど京都市下京区の京都センチの宴会場とロビーを使った。会場がホテルなので、華麗にいけられた花の問で一タ楽しんで頂こうと、いけ花展会場でパーティーを併催した。その開会のおもてなしとして、素子の発案で花点桜をしようという干」とになった。会場がネオクラシック調の優れたデザインなので、末次揺子きんに紹介していただいた中野ックや花振一郎さんのチェンバロに「花曲動春」というテ!?で今様の花点前をぷ熊町性同流派の京滋や岡山などか全土だった門人七十七人が、写真集の趣旨にそった生け花を出品し、会場は終日、観賞の人でにぎわった。その夕方のパーティーではシナリオライター早坂暁リlホテルで催された。行なった。催しはすべて大好評で読売新聞の第一面にカラl写真で報道されたのをはじめ、朝日、京都の両社も大きくとりあげて下さった。成功を流内の皆様をはじめ知友の各位に心から御礼を申し上げます。セヤんら文化、華道界などから約三百八十人が参加、同家元夫妻が特設ステージ上で「花点前」を披露した。中野振一郎さんのチェンバロ演奏に合わせて、二人は金属パイプを組んだ大型花器にグロリオlサ、アンスリウムの花を生け、「花曲動春」のテーマを表現、息のあったコンビぶりをみせた。なお同写真集(婦人画報社刊)は、二人が昨年一年がかりで京都の四季ごとの自然風景や伝統的な社寺や町並みを借景とし花を生けるというユニークな試みを記録している。桑原仙渓桑原素子花ー河人展EAj_μn 29・一一一切京人民都」にを根開付くい。た華道家と写乙司1992年(平成4年)2月9日原仙渓さんと素子夫人が昨3子芝走塁「区息のあったパフ,,.ーマンスで花を生ける義原仙渓家元と素子夫人(京都センチュリーホテル)緬・・厄副年は何かだけろてう京か都、のと風、景昨を年舞一台J、icたいりけ・」てにきまたさ同いl必然どん安け夫大花現のたとλノじうがの、か。よ、切」す「がめそ気大持柚も「う臼のる春、てれと持切つ物しよと由伝0」そ出は仙ちだ生やたくすにす統「その版「渓はと命白けけるいるを立再中し花斤奈医書門一一一いい一一一週信書司曜日10 一一一門人77人が生け花展一瞬ユ

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