テキスト1992
23/140

110/ ………………相…生…腐の………務第一憲………………する姿勢は全く自然で、緑の葉をよくみつめ、極度に洗練された形では葉蘭三枚で植物の世界を端的に表象し得ているのである。単に花の美しきだけを装飾として形造るのと違って、植物の季節に従って生きて行く姿を表象しようといういけ花では、花も大切だが枝葉が主役になることが多い。松一色の立花はその好例だが、江戸時代も後半になると葉蘭や万年青の生花が完成し、um都や除草珠のような花も使う生花でも、葉が一一献の構成の主役になるものを葉組物とよんでいる。こう見てくると、葉蘭や万杢青の他に、現代では多種多様な外国産の観葉植物が渡来して栽培され、切花として多量に使われているのもいけ花としては当然なことだろう。作例に用いた観葉植物は里芋科のフィロデンドロン・セルラlタで葉は丁度黄色に色付きはじめたレモンのような美しい黄緑色である。大きさは長さ日で、幅5HJぐらいでlμほどの長い茎から何段も作例のような枝が出る。花材としては嫌みのない明るい黄緑色なので、花に緑をそえるという消極的な使い方ではなく、この色を強く生かして使いたい。黄緑色のフィロデンドロン・セル一フlタによく似た色の小型シンビジュームをとりあわせてみた。シンビジュlムの種類は豊富だが、現在この緑のシンビジュlムが気に入っていて、お正月花として使ったりしていヲ令。同色でまとめた明るい投入である。《6頁写真解説》花材フィロデンドロン・セルラシンビジュlム(黄緑色)花器陶長首淡青彩花瓶今読んでいる本の中で面白い言葉に出逢った。標題の「無病の岬吟」という中国の言葉で、自分は病気でもないのに、きも苦しげに附いているという意味である。著者は大体文学や美術というものは人聞の心にふれた自然や、人と人との愛憎によって動かされる心、或は社会に対して理想を求める気持、本来黙って心の中に収めていられぬものがあって、それが臥ずと言葉に現われたものが文学であり、色と形で表現されたものが美術であるという。ところが何も感動することがないのに詩や文学を作ることを「無病の岬吟」というのだそうである。こんな言葉に出逢うと、私達の周囲の文学や美術の中に無病の岬吟に近いもの、或は無病の岬吟そのものを読まされたり見せられているのではないかと気になってくる。無病の坤吟しんぎん私達が何か深く感じたことは人にも伝えたい。そのためには表現の方法がなければならない。ものに感激しても、それを人に共感させるように話すことは大変難しい。適確な言葉を見つけ、その云いまわしも工夫しなければならないが、そのためには常々表現方法を勉強しておかなければならない−と甲山Yっ。だが一所懸命勉強して上手な表現深い緑の葉の合間で万年青表現してきた。万年青の生け(おもと)の実が色付きはじ良い名前を残してもらった方の講習に通めた。古葉が赤い実を気遣うおかげで万年青を生げるとっている。澄ように囲んでいる。古人はそき、その気持ちを忘れず一枚んだ空と静かの風情をいつくしんで、かわ一枚を丁寧にさしている。な山あいのたいい実を寒さから守ろうとす那賀郡相生町は日本一の万たずまいは、る葉に「風囲い」「露受葉年青の産地である。ここ数京都でいえば争点m季節の移り変わり告げる方法ができるようになるとつまらないことでも上手な云いまわしで人を何か美しい感心きせられるよ、つになる。いわば無病の坤吟が真に迫っているのである。反対に本当の病人の岬き声を聞いても、自分に病気の経験がなければその苦しみに共威主qることはできない。又自分が苦しみを味わっていれば無病の岬吟のまやかしに気付くこけて、冬の白年、十二月に幽然の優しさをなると町のお幽生げ花として招きを受けて比叡山のふもと、洛北の大原が、妻の素子と一緒に京都のにでも当たるのだろうか。旧家の庭にはたいてい、万年青「花ふたり」(婦人画報社が植えられていて、初冬には刊)は、そんな暮らしの中か散り敷いた枯れ葉の聞から伸ら生まれたものである。び上がった青葉の抱える赤いそして今年も十五日には、実が季節の移り変わりを告げ相生町で見事に育った万年青生け花は、自分の周囲をめ生町方を講習することになっぐる四季の風物と切り離されている。(桑原専慶流家元・ては生き続げられない。私桑原仙渓、素子U京都市在住)る。に固まれて、土地の皆さんにともできる。大切なのは良いものを常に見ておくことである。そして本当の声と、そうでない声を聞き分ける心を養っていることなのである。徳島新聞一九九一年十二月九日左の記事は徳島新聞社の「花ふたり」と昨年ロ月日日の万年青の産地徳島県相生町の万年青講習会の紹介一年を生けつづった生け花集桑原仙渓、素子さんが出版した生け花作品集那賀郡相生町で万年青を生ける桑原素子さん(中央)7

元のページ  ../index.html#23

このブックを見る