テキスト1992
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前号まで、とりとめもなく私が神様についてどんなことを感じているのか書き綴ってみた。戦後、神様の事など始ど与えたこともなかったがいけ花に携わるようになってから、その背討になっている日本の神観念の面白さに芯かれて色々な本を読みさ漁るようになった。とは云っても興味の赴くままにとりこんだ雑知識の集積に過ぎない。再度「カミと日本文化」を引用すると、「それがどのようなものであったかはわかりませんが、わが国の原始時代にすでに日本独特の自然崇拝、山岳信仰というものが成立していて」||途中省略||「神とは神秘的な生命力・生産力であり、これを崇拝し、その生成の働きを強め、その生成の働きと合一することが祭りであると思います||途中省略||そして「それが日本では太占よりずっとAI日まで生き続けている、そういう原始が、高度な文明の中に生き続けているところに神道の特色がある」ということである。ヨーロッパやアメリカの日本学者の中には、日本人は未だに不変の核として神道を持ち続けていると思っている人もあるそうである。「カミと日本文化」によれば、神道は原始の時代、日本で稲作農業が始まった弥生時代に、その原質を形神様と私成し、それ以来その原質は保持され(前号より)て来ている。他の宗教では歴史の進行と共に他の宗教や社会思怨の路特を受けて原質も変容してきたが、神道においては、歴史の進行の途上、前代の他のん一ボ教や思忽のかり拭いよって一H一原町(・ぶわば傑)に立ちかえり、その上で新時代の示教・思想に着答えて再登場してくる。まるで着せ替え人形の人形にその原質を例えられる宗教だと一ぶ、っ。わらずという歴史を繰り返してきた儒教の思想を借り着して氏族的組先教として占代国家の形成のために働き次に仏教の衣を着て両部神道や本地雫法神道となり、近世には中凶の宋明同教と結びついて諸問の似家神道に変身した。その後国家に装いを変えて占学神道を経て、近代日本の家制国家主義思想という、まるで軍服を着たような天皇崇拝の国家神道となった。代のいい来朴な自然信仰が未だに本質を変えすに生き続けているのだが、時代によって変る衣装のために隙々な姿に見えるということなのである。態度や自然観はそれほどたやすく本質を変えるものではない。仰から、本栴的なキリスト教的ヨーの世紀を経なければな与なかった。ヨlロツハでも占代の土着的な信μ明日歩』す実際に神道は古代においては古代神道というものもよく見れば、占一つの民放、或は文化圏の宗教的ロッパ社会に変身するまでには多くJに。でも恥達は何かにつけて気の向いそれでも未だに古いゲルマン民族の遺留はキリスト教とも結び付きながら頑固に残存している。同屑し戦争によって絶えず征服と被征服の関係が喰リ変えられてきたがあっ分の気に入った宗教や思怨の衣を時H本では他民族の征服による強制的な示教立識や思忽の変市がなく、山代ごとに若替え、衣装変われど主変らしい。日本人は未だに古代の素朴な向然信仰を持ち続けているということだが、恥はそういう神様が大変幻に入っているのである。朝起きしておだ芯僚に予を合わせて持む老人は、もうあまりいそうにもないο神社の前を通る時、神殿に向かって煩を下げる若者を見かけなくなった神様に願い事をしたり汚いを立てたりしているが対象となる神燥の安は泌然としていて机み所がない。、キリスト教神学の立場から見れば原始人の宗教意識と蔑まれるかもしれないが、自然と一体になって遊ぼうとする日本人にとっては、それ以外になど心教的態度である。いけ花がそっいう口然観、或はいぷ朴なんぷ教立誠に似差しているなら花をいけるのが益々楽しいのである。ヨlロッバ世界には多数の民族が5

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