テキスト1991
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か2八表紙の花>このピーマンを見ていると、野菜というよりも、キチンを陽気に彩るために育てられたもののように思ってしまう。大きさは小振りな夏蜜柑はどもあって艶やかな肌には偏―つない。日本人は味と共に出来上がった料理の美しさを殊の外気にするので、八百屋で売られている野菜や果物が外国にくらべて大変美しいようである。そして相物の疏菜は京都が良くて洋野菜は東京の方か種類も多くて豪華なものか集まるようである。いつか野菜のいけ花をテキストに集めた時に‘いけたあと食べられないような使い方に反撥を感じると書いたか、それは野菜の自然な姿と持味を大切に扱おうとする日本料理の心情と通じ合う点かもしれない。或は美味しそうなものを切り裂いたリ、無残に刺し貰いて食べられなくしてしまうのか惜しくてたまらないという私の食欲のせいだと云った方かよいのかもしれない。ボヘミアンのカットグラスに氷のような。フラスティックの欠けらを入れ、後の方に麦を挿す剣山を罹いてからレソドピーマン、イエローピーマンを置いて蚕豆をそえて麦を立てただけの簡単ないけ化だか、大切なことは新鮮さと‘器の消潔感てある。和風な盛物には古びた盆が好んで用いられるか‘床の間に飾る古風な枠そ・,ょn')り’)の

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