テキスト1990
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ガンテウムのとりあわせとしてはこれぐらいの量でようやくつりあいがとれる。色彩を大切にしたいとりあわせでは、真ん丸く咲くギガンテウムは花そのものは美しいのに真直で固そうな茎は武骨に見えるので短かく使、っか他の花の葉で少し隠して使いたい。赤いガラス器に挿したギガンテウムの淡い赤紫とイキシアのピンクの花の聞には蕃磁の白さを配色して色調をやわらげている。宇治流内のグループ展も三回目からようやくグループとしての特色が出はじめる。一回目は会を開こうという意欲が先行し、二回目が終ってようやくグループとしての意向が定まり、目には会の運営にも慣れ、落着いて自分の出品作のことを考える余裕ができてくるのではないかと思う。今回の花ごころ展を見てまず感じたのは、この会も運営が安定し、それを土台にして会員の皆さんが毎年の研績の成果を自分で試す良い場に発展して行きそうだということである。花のとりあわせがよくなり、しかも同じ花が重複して使われていることが少ない。出品作を決める場合、その季節に手に入る花は特に註文す第三回「花ごころ」いけばな展れば別だが、花屋が仕入れてくる花の種類も、いざとりあわせを決めようとした場合それほど多くはないものである。又人気のある花は種類が限られていて皆がそれをいける訳にも行かない。そこで大切なのは、お互の意向が快く話しあえるようなグループの雰囲気を育てることである。限られた種類の花しかなくても、とりあわせと花型によっていけ花は無限に変化させ得るものである。その上慎重にえらばれた花器が加われば、花ごころ展のω瓶は一作ごとにそれぞれの主張が織りこまれたいけ花として観客の心に鮮かに残るだろう。いけ花展を聞くに当って、個々の出品作がすぐれていることは勿論大切だが会場全体から受ける感じは更に大切なのである。私は常々いけ花展は、会場に入った途端、花をいける喜びが伝わってくるようでなければならないと思っている。花ごころ展の印象を書いているうちに、流内の皆さんの聞くグループ展への助言が主になってしまったが、こういういけ花展をどんどん企画していただきたい。思案しているより親しい同門の人と相談しあって実行にうっせば、やり甲斐があったと心から思い、豊かに花をいけ続けられるようになるのである。一一一回5

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