テキスト1990
130/143

花瓶花をいけるための道具として、花瓶や水盤が作られるようになったのは近世になってからのことらしい。中国の古銅器には酒器や食物を調理するための器はあっても花をいけるために作られた器は見当らない。又仏前の供花に関しても‘敦煙石窟の壁画や雲尚の石窟寺院のレリーフに花器は‘はっきりとは描写されていないようである。中国で部屋の中に花を飾ることを広めたのは宋時代の文人達であり古い銅器や磁器が好んで使われ、又それを摸して作られたものに花を挿していた。日本でも「枕草子」(10i11世紀)に大型の青磁の甕に挿された桜の美しさを描写した件りかあってもまだそれは花器として作られたものではない。花に水を与えることができ‘花が何とか安定する日用雑器か利用されていたのである。花をいけるための独自の目的を持った花器が作られるようになったのは、やはり立花がその姿を完成する時代になってからのことであろう。初期の立花には中国から輸入されたものが使われていたが立花の様式が整うのと平行して立花瓶という立花専用の花器が生産されるようになった。そして非常に精密な工芸の発達する江戸時代には様々な形の花器が生まれ、そのすぐれたものが現代11

元のページ  ../index.html#130

このブックを見る